「主のよくしてくださったこと」(詩篇103篇1節〜22節) ( 12.31/2017 )
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(2節)

6節に「しいたげられている人々」が登場しています。同様に神様を勘定に入れずに生活しつづけることは、神に対して失礼なことなのだと教えらえるのがこの詩篇です。
前半の1節から14節は主の説明、15節以降は主を恐れる者についての説明です。

1.自分でなく、主のみわざ

たとえば良い成績を修めたのは自分の努力の結果と考える人と教師の指導にまで考えが及ぶ人、さらに主がおられることを知っている人にまで分けることができるでしょう。

2.主を恐れるなら主は何をして下さるというのか(3節〜14節)

「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行われる。主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。」

少し噛み砕いてみますと、「自分で自分の罪を赦すのではありません。すべての咎を赦されるのは主(22節;「すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で」主とは天地の造り主であるお方)です。虐げられるとき自分で報復するのでも、希望を捨てるのでもありません。神様の正義を喜びましょう。主はご自分を隠されるお方ではありません。ご自分を知らされるお方です。ここからは証ですので本当に力があります。
主はあわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。
主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。
私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。
天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。
父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。
主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる」のです。

3.主を恐れる者には主の恵みがある(15節〜22節)

「主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。」(17節、18節)

例えば、赦すことができない人がいる場合、自分自身も造られた存在にすぎないことを思い出さなければ、主の義は自分に届かないことを覚えるのです(13節〜15節)。主に従えなかったにもかかわらず、主が「良くしてくださったこと」を思い起こし、まず主との良い関係を築き直しましょう。

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