「信仰の従順」(ローマ16章17節〜27節) ( 1.15/2018 )
「私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、」(25節、26節)

「神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(1ペテロ5章5節)と聖書に証されていますが、私共は保育園や幼稚園に入園した時点から教えられることに対して従うときに神は恵んでくださることを学ぶのではないでしょうか。パウロが生涯かけて教えたこととは神への従順でした。
「兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。」(17節、18節)問題点は「自分の欲に仕える」ところにあると教えて下さっています。
豊かに、美しく、称賛を受けるなど自分の心から湧いてくる欲は限りがないのではないでしょうか。自分の人生は自分が決めた道に進むことに決めているというのも欲望です。しかし、パウロは主キリストに仕えなさいと教えて下さっています。

本間ツキという伝道者の奥様は、採石場の作業員に刃物で切り付けられ血を流しながらも仕事が下手で遅い従業員をかばい続け、「闇路を照らせり、神は愛なり」という賛美を歌って倒れたのですが、彼女を切り付けたこの男の回心のために用いられました。
人生は自分の願う通りには進まないかもしれません。しかし、自分の欲でなく主キリストに仕えることが大切なのだということを覚えましょう。

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