「誇る者は主を誇れ」(1コリント1章17節〜31節) ( 1.21/2018 )
「まさしく『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです。」(31節)

ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は追求するそうです。しかし、キリストの十字架を伝えるように神は定められました。

27節「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」すなわち、しるしを求める人々にとっては十字架は弱さの象徴で、知恵を追求する人々にとっては十字架は愚かさの表れです。けれども神は人間の賢さと力をはずかしめると言われています。

そのために選ばれたのが、愚かな者と弱い者です。そして、24節「しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」すなわち、キリストが与えられたのです。キリストが神の力、神の知恵なのです。

「また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。」キリストを見せるために愚かな人、弱い人は用いられるのです。
なぜなら、弱さと愚かさを知っている人は自分でなく主を誇るからです。

ある婦人は不幸が続く中で「すべてのことに感謝しなさい」(1テサロニケ5章18節)という聖書の言葉を聞いて人生が変えられました。不幸の中にも神の意味があると知ったからです。その意味は神にしか分かりません。しかし、神がいてくださることを知ったときこの婦人は救われたのです。

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