「あなたがたはキリストのもの」(1コリント3章1節〜23節) ( 2.11/2018 )
「そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。」(23節)

コリントの教会にはねたみや争いがあったと指摘されています。それは彼らが出会った指導者たちそれぞれの賜物が違っていたことに起因していたようです。「植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。」(8節)それぞれの働きをしたに過ぎないのですが、信徒の方々の中にはそのことにとらえられてしまう人々が出てしまいました(18節、19節)。そのような状況の中で、成長させてくださるのは神であり、あなたがたはキリストのものだと諭されているのがこの3章です。

私たちは、
1.キリストの建物
「私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」(9節〜11節)
キリスト以外「ほかの物を据えることはできない」すなわち、わたくしたちの自由設計は通らないということです。そしてこの建築物は後に火で試されます。良いものをもって建てましょう。金とは苦しみ(迫害)であり、わらは称賛でしょう。「あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。」(2テサロニケ1章6節〜9節)

2.神の宮
「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(16節)神の聖を恐れつつ生活しましょう。

3.すべてを所有する者であるがキリストのもの
議論は無益と書いてあります(20節)。キリストのものであることに同意しましょう。

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