「越えないこと」(1コリント4章1節〜21節) ( 2.18/2018 )
「それは、あなたがたが、私たちの例によって、『書かれていることを越えない』ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。」(6節)

1.忠実であれ(1節〜5節)
「こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。」

2.書かれていることを越えないことを学べ(6節〜13節)
「書かれていること」とは「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」(1コリント1章19節)のことで、この言葉は旧約聖書の引用です(イザヤ29章13節、14節)。十字架のことばが神の力です。

3.力を見せてもらおう(14節〜21節)
「たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。」(15節、16節)パウロは愛する子どもを諭すためにこの手紙を書きました。そして、パウロに倣うことを勧め、テモテを励まし手として遣わすのです。
「私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。」(9節〜13節)王様にはならなくても良いのです。パウロやテモテ、その後の時代の弟子たちに倣う者となりましょう。「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。…キリストは神の力、神の知恵なのです。」(1コリント1章24節)神にお従い出来ることが救いなのです。
ジョン・リビングストンは1630年6月21日の説教の前夜、夜を徹して祈ったそうです。

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