「よみがえられました」(マルコ16章1節〜8節) ( 4.2/2018 )
「青年は言った。『驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。』」(6節)

人はこの地上での生活に幸せが多いことを価値あることとしていると思います。しかし、主イエス様の復活の出来事を知るときに価値観が逆転するのです。まさに、8章34節で語られている「それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。…』」の約束が実証されたのです。なぜなら主イエス様の復活を通して御霊のからだがあることを見せられたからです。「血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」(1コリント15章44節)

病にかからないのが優れている証ではないでしょう。十字架を負わずに終わるのが優れている証でもないでしょう。病にかかっても主イエス様を信じ主イエス様に従い抜けたならそれが神によみせられることだと思うのです。あなたのよみがえりの備えはいかに。

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