「涙を見給う神」(ルカ7章11節〜17節) ( 4.16/2018 )
「主はその母親を見てかわいそうに思い、『泣かなくてもよい』と言われた。」(13節)

主イエス様はガリラヤ湖の北の町カペナウムで百人隊長のしもべを癒された後、ガリラヤのナザレの南東7〜8キロのところにあるナインという町に行かれました。ちょうどその時、一人の寡婦がひとり息子を失い、泣きながら息子の遺体と共に町の門を出てきたところでした。主イエス様はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われ、近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので主イエス様は死んだ息子に対して「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われ、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので彼を母親に返されました。

主イエス様の御業は無茶苦茶だったというのです。悪い意味で無茶苦茶なのではなく、途方もなかった、その御力が尋常ではなかったのです。そして、主イエス様のみこころを動かしたのは母親の涙でした。もし、主イエス様に涙を見ていただけたなら主イエス様は今もあなたの涙に答えてくださるのです。

「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(へブル7章25節)

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