「キリストに属する者」(1コリント7章1節〜24節) ( 5.6/2018 )
「人間の奴隷となってはいけません。」(23節)

1節〜7節 不品行を避けるため伴侶者を求め、サタンの誘惑にかからないために互いの権利を奪わないように
8節〜16節 様々な命令
17節〜24節 神がお召しになった時のままの状態で歩むべき

まず、自制を脅かすものに対策を取ることを勧めています。サタンがいて誘惑があるからです(5節)。その対策は夫と妻が互いの権利を奪わないようにすること。また、独身の男性とやもめの女性も自制できないなら結婚するように、そしてその他様々な勧めがなされていますが、それぞれ主からいただいた分に応じて歩むように勧めています。そして、繰り返し命じられているのは「おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい」(17節、20節、24節)です。当時は奴隷の方々もおられました。奴隷からの解放が救いの目的でないのなら、いったい何が救いの目的なのでしょうか。

「無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです」(19節)とあります。世の身分や肩書きが幸せなのではなく、神の命令を守れることが真の幸いであり、救いなのだと教えているのです。「主に属する」「キリストに属する」ことがこの世(割礼)に勝るものなのです。

それは、わたくしたちは代価をもって買われたからです(23節)。わたくしたちが神に背いたのです。そしてわたくしたちが神に裁かれるべき時に、神はわたくしたちを裁こうとされた時、わたくしたちの造り主である神はわたくしたちを裁く代わりにご自身の御子、主イエス様を十字架につけ、裁きをなさいました。これが聖書に証言されている十字架です。主イエス様の命でわたくしたちは神によって買われたのです。ゆえに、人間(自分の欲望)の奴隷となってはいけません。
代価をもって買われたのは割礼(見た目の変化や幸福感)のためではなく、神の御前にいること、すなわちキリストに属する奴隷(神の命令を守る者)となるためなのです。

すべてをご存知の神がおられるということです。その神が「あなたは、わたしが買ったよ。もう人間(社会)の奴隷ではないよ」と言って下さっています。

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