「御霊のからだ」(1コリント15章35節〜58節) ( 5.14/2018 ) |
「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」(44節) 血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。死が終わりではないということです。 本日は召天者合同記念礼拝ですが、御霊のからだが与えられるのだ、終わりのラッパと共に、朽ちないからだによみがえらされるのだということを覚えましょう。 そして、この地上でできることがあると聖書は教えています。それは「いつも主のわざに励みなさい」です。主とは創造主である神です。神をもった人生に励む必要があるのです。 それは神に感謝する生活です。57節に「神に感謝すべきです」とあります。それは神は、主イエス様によって、わたくしたちに勝利を与えて下さったからです(57節)。この勝利とは罪と死と地獄に対する勝利です。 罪は主イエス様の十字架によって勝利されました。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」TEV訳では、「キリストには罪はありませんでしたが、神は私たちの罪をすべてキリストに背負わせ、私たちがキリストと結び合わされることによって神の義に与ることができるようにされたのです。」(2コリント5章21節)ローマ8章には、「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」(3節〜6節) 死は、現在においては主イエス様の贖いのゆえに御霊を与えられて勝利され、滅びからの勝利は主イエス様を信じる者に既に与えられています。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節) やがて御霊のからだを与えられ永遠を過ごす私たちなのです。罪とは主に背を向けることです。日々、主イエスを仰いで罪を捨て、主の命令に従い、主のご命令を行うことに励もうではありませんか。(1コリント15章58節) |
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