「主のねたみ」(1コリント10章22節) ( 6.17/2018 )
「それとも、私たちは主のねたみを引き起こそうとするのですか。まさか、私たちが主よりも強いことはないでしょう。」(22節)

イスラエルは危機を通ることを通して聖別されたのですが、もっと小さな試練に対しては失敗を繰り返しました。すなわち、何度も偶像礼拝に陥ったのです(7節〜10節)。そして主に裁かれました。この10章では、これを教訓にするようにと戒められています。(11節、12節)

そして、13節には、神が逃れる道を備えていてくださると約束してくださっています。この約束の道はどこにあるのでしょうか。

異教徒の偶像ではないと語られています。では、友人でしょうか。他のものに心を注ぐことでしょうか。1コリント10章のメッセージは、主ご自身が逃れの道なのだと教えられています。

なぜなら、主は他のものを礼拝するときに「ねたむ」と言われているからです。
「それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、…」(出エジプト20章5節)
「彼らは、神でないもので、わたしのねたみを引き起こし、彼らのむなしいもので、わたしの怒りを燃えさせた。」(申命記32章21節)
「また彼らは、高き所を築いて神の怒りを引き起こし、刻んだ像で、神のねたみを引き起こした。」(詩篇78篇58節)

そして、(あなたは主にねたみを起こさせるような高い位置に置かれてはいないだろう)と叱責されています。偶像礼拝、姦淫、主をこころみること、つぶやき、これらは危険ですのできっぱりと止めましょう。主ご自身のみを逃れ場とさせていただきましょう。

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