「ツロという罪」(エゼキエル26章21節) ( 6.24/2018 )
「わたしはおまえを恐怖とする。おまえはもう存在しなくなり、人がおまえを尋ねても、永久におまえを見つけることはない。──神である主の御告げ──」

1.主の怒り
「第十一年のその月の一日」(1節)ユダのゼデキヤ王が即位したのが紀元前597年、その治世の11年といえばエルサレム陥落の年です。
「人の子よ。ツロはエルサレムについて、『あはは。国々の民の門はこわされ、私に明け渡された。私は豊かになり、エルサレムは廃墟となった』と言ってあざけった。それゆえ、神である主はこう仰せられる。ツロよ。わたしはおまえに立ち向かう。海の波が打ち寄せるように、多くの国々をおまえに向けて攻め上らせる。彼らはツロの城壁を破壊し、そのやぐらをくつがえす。わたしはそのちりを払い去って、そこを裸岩にする。ツロは海の中の網を引く場所となる。わたしが語ったからだ。」(2節〜5節)エルサレムの不幸を悲しむことなくあざけったことを主が怒っておられることが分かります。「畑にいる娘たち」(6節)とはツロの支配下にあった町々のことだと注解されていました。

2.ツロという罪
「わたしはおまえを恐怖とする。おまえはもう存在しなくなり、人がおまえを尋ねても、永久におまえを見つけることはない。──神である主の御告げ──」(21節)ツロはエルサレムと同様に交易で栄えた町でした。今でいうとシンガポールのような、昔の日本のような国です。しかし、神の怒りによって永久に見つけることのできない国になると預言されています。いや、恐怖とするのだと告げられています。目を向けることもできないくらいに恐ろしいものとするということです。

ツロの人々も周辺諸国の人々も罪を忌み嫌うことをせず、罪を追い求めて歩んだその歴史に終止符が打たれるぞと告げられています。これは厳しすぎる教訓のように思います。しかし、罪に死なせていただいて(罪が恐怖となって)初めて新しい生活が見えてくるのではないでしょうか。

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