「男のかしらはキリスト」(1コリント11章3節) ( 7.1/2018 )
「しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。」(3節)

「男のかしらはキリストであり、女のかしらは男」この違いが礼拝の時に女性が着用していたかぶり物につながっています。

「男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です」神の御前で、栄光を求められているのは神の栄光のみであり、女のかしら(男の栄光)は求められていないのです。また、この為に栄光の冠として女性がいだいている髪(15節)は神の御前では隠さなければなりませんでした。いや、現在も女性が髪の毛を栄光の冠として神から受け取っているのなら礼拝においては隠さなければならないのです。

この命令の発端は、10章31節の「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」です。

7節には「男は神の似姿であり、神の栄光の現われ」とあります。似姿とは映し出すという意味があります。自分の本心を神に取り扱っていただきましょう(ガラテヤ5章18節参照)。
当時ヴェールを着けずに外出している女性はみだらな女性であることを表していました。それに反対する意見を持っている方がおられたのではないでしょうか。同様に、男性もかしらとしてのキリストを否定しようとする誘惑は昔も今も変わらずあるのではないでしょうか。かしらなるお方に聴き従いましょう。

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