神の国(マルコ10章17〜27節) ( 1.9/2011 ) |
「イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、・・・」 (マルコ10章21節) 病いなどを乗り越えるには?と考えていました。「星の王子様」に登場するキツネは「かんじんなこと(本質)は目では見えない」と言っているように思います。今日は神の国について考えてみたいと思います。 1.満たされない青年 律法に忠実な青年が永遠の命を持っているという確信がもてなくてイエス様に質問します。そしてイエス様から戒めを聞くのですがそれらをすべて守っていますと青年は答えます。 2.解決策 続いて「持ち物をみな売り払って貧しい人たちに施しなさい・・・」とイエス様は勧めてくださいました。けれども彼はたくさんの資産を持っていたので顔を曇らせ悲しみながら立ち去ってしまいました。 青年は出来ないと思ったのですが、イエス様は「人間にはできないことも、神にはできる」と語りました。この言葉はただ抽象的に「人間の不可能性」と「神の可能性」について語っているのではありません。「人間にできないこと」とは、具体的には、「自分が後生大事に握りしめているものを貧しい人たちと分かち合うことなど到底できない」という考え方を指していると考えるべきでしょう。私達は「人間にはできないことも、 神にはできる」と信じ、この信仰によって不可能を可能に変えられるようにしなければなりません。信念やお金や地位など自分を縛っているものから自由にされるところが神の国なのです。 3.まとめ アッシジのフランシスコは「人は自分を捨ててこそ、それを受け、自分を忘れてこそ、自分を見いだし、・・・」と祈りました。ヨブも「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう」と言いました。すべて神からの賜物です。「何かを準備して神の国に入るのでない」と声を上げようではありませんか。大阪には地域の人たちに奉仕している教会が二つあります。私たちも持てるもので神の国を伝えましょう。三春にも物で測れない神の国がたくさんあるのです。 |
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