「混乱の神ではなく」(1コリント14章33節) ( 7.23/2018 )
「それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。」(33節)

この14章は礼拝秩序の乱れについて語られています。異言という神に対して語る特別な賜物が公の場で語られたために一般の方が聞いたときに気が違っていると感じてしまうこと(23節)や、一部の人が語ることを独占していること(30節)、女性が教会で教えていることなど多くの問題があったようです。

その中で使徒パウロが教えているのは、神は混乱の神ではないということでした。すなわち秩序のある神なのです。ゆえに、女性が知性において劣っているから黙りなさいというのではなく、知性において優れていたとしても神に仕える者として神の秩序を守りなさいと命じてあるのです。

果たしてこれだけの理由で秩序が守れるでしょうか。旧約聖書に登場するダビデ王でしたら、神を畏れる人物でしたので十分な理由になり得たと思います。
しかし、女性は黙っておれるでしょうか。具体的にどうすればよいのでしょうか。「自分の夫に尋ねなさい」(35節)と命じられていますが…

(32節には、「預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。」とあります。単純に悪霊は預言を無視するということだと思います。しかし、御霊を受けているお互いの場合はどうなのでしょうか。ローマ9章1節には「私の良心も、聖霊によってあかししています。」聖霊は捨てるべき罪について常に明らかなメッセージを送って下さっていることがわかります。(きよくなりたい)というのが私たちの心の叫びではないでしょうか。

「きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。」(テトス1章14節、15節)
(無理だよ)という不信仰が心を暗くする原因だと分かります。しかし聖霊は神ですので私共の心を造りかえてくださいます。

では聖霊は、何によって心をきよめてくださるのでしょうか。
それはキリストの血潮です。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(1ヨハネ1章7節)主イエス様の血潮はすべての罪から私たちをきよめてくださいます。神との交わりの中で何度でもきよめてくださるのです。)
神の意に反することから手を引き、心を控えましょう。御霊に服従しつつ。

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