「沈められたお方」(エゼキエル27章34節) ( 7.29/2018 )
「おまえが海で打ち破られたとき、おまえの商品、全集団は、おまえとともに海の深みに沈んでしまった。」(34節)

この27章はイスラエルの周辺諸国に対する預言のうちツロについて語られているところです。前半はその繁栄ぶりが描かれています。しかし後半まで読み進めますと神はイスラエルだけではなく周辺諸国も裁かれるのだということが分かってくるのです。私共は自分自身をどこにおいて読めばよいのでしょうか。選民のところでしょうか。それともツロの人々のところでしょうか。どちらに身を置いたとしても神が物質を神として崇拝する人々を裁く点については変りはありません。このツロの人々の豊かさは海の中に沈められる、すなわち、裁かれるのだというのです。だれがわたくしたちを救って下さるのでしょうか。それは神が遣わして下さった主イエス様です。

「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」(ヨハネ6章37節〜40節)

この27章もツロについての預言です。日本人はツロと同様に異邦人ですので、この27章も自分たちに対する預言として読むべきですが、主イエス様はヨハネの福音書でたとえ異邦人であっても「わたしの所に来る者」がいると教えて下さっています。主イエス様の死が自分の罪の結果だったと信じる私共をも、主は失うことがありません。ひとりひとり終わりの日によみがえらせてくださいます。主イエス様を十字架につける過ちを繰り返さないように、真の神を礼拝しお仕えしましょう。

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