「サウロ、サウロ。」(使徒の働き26章14節) ( 8.13/2018 ) |
「私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』」 パウロがアグリッパ王に告げたメッセージは「わたくしはそむき続けました」というメッセージではなく、「天からの啓示に背かず」というメッセージでした。啓示にそむかないとどうなるのか、ご存知ですか。パウロと同じ人生を神は与えてくださるのです。 しかし、背きたくなくても背いてしまう人はどうすれば良いのでしょうか。神のみこころが今日の聖書の箇所にあらわれています。(あなたにとって痛いことだよ)痛みに耐えるのが人生なのではなく、痛みのない人生、すなわち神への反逆を止めることが人生の選択肢にはあるのだと勧めて下さっています。 天からの啓示にそむかず彼が進んださきには「聖なるものとされた人々の中にあって」(18節)がありました。聖なる者とされる、すなわちサタンに与えることができないものを神は与えてくださいます。サタンの支配の中にあるのは「この世のすべての国々とその栄華」(マタイ4章8節)です。一方、サウロには栄華も武力もありません。 痛みの解決は闇の中にはありません。天からの啓示にそむかないことを学びましょう。(痛みをこらえないで立ち返りなさい)と主は語っておられます。本物の痛みとは、神のない人生です。「サウロ、サウロ。」と呼ぶお方によりすがりましょう。 |
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