「心」(エゼキエル28章1節〜10節) ( 8.26/2018 )
「それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたは自分の心を神の心のようにみなした。それゆえ、他国人、最も横暴な異邦の民を連れて来て、あなたを攻めさせる。」(6節、7節)


ツロの君主への預言が28章に記されています。彼は知恵に富み、財宝を積み蓄え、心が高ぶってしまいました。日本人に限らず世界中の大半の方々はツロの君主と同じものを望んでいるのではないでしょうか。私共はどうでしょうか。

勉強をし、勤勉に働き、財を蓄え、高ぶることを望んではいないけれども馬鹿にされないように、恥をかかないようにと励んでいるのではないでしょうか。しかし、「それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたは自分の心を神の心のようにみなした。」(6節)これは、「神の心」を忘れてしまったということではないでしょうか。現実に起こることを神の御業として認めなくなっていたのではないでしょうか。
江戸時代幕府の意向に背いて神を礼拝し続けた人々は神を忘れないで恐れ続けた人々でした。彼らが心にいだいていたみことばは、
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。」(黙示録22章12節)でした。

神のみこころが日常に現されても、自分の知恵に頼り、財に頼り、神に悔い改めることをしないで神には頼らない、というのがツロの君主の生き方でした。しかし、神は気付かせてくださるのです。「あなたを地に投げ出す」(17節)という方法で。うまくいかないときは気付かなければならないのです。

「あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。あなたは不正な商いで不義を重ね、あなたの聖所を汚した。わたしはあなたのうちから火を出し、あなたを焼き尽くした。こうして、すべての者が見ている前で、わたしはあなたを地上の灰とした。」(17節、18節)

神が嫌っておられるのは不義だと告げられています。自分の知恵で立つ者ではなく、神に支えられて立たされる者となりましょう。心も神が所有権を求めておられます。神にみこころを求めましょう。

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