「主の報い」(エゼキエル29章17節〜20節) ( 9.30/2018 ) |
「彼らがわたしのために働いたからだ。」(20節) ユダという国は、北のバビロンと南のエジプトという強大な国の間に挟まれた国でありました。そのような環境で自主独立を保っていくために神が語られたのは偶像を捨てて神に立ち返ることでした。しかし、アサや少数の王を除いて、国から偶像を除くよう働きかけることができなかったのがユダという国でした。 この29章はエジプトの神に対するおごりが指摘されています。すなわち彼らのおごった思い「川は私のもの。私がこれを造った。」(3節)が裁かれると預言され、紀元前568年にバビロン軍に攻め込まれるのですが、エジプト全土を征服されたのではありませんでした。 ツロもまた17節のところからですが、紀元前570年3月にバビロンに攻められることが預言されるのですが、海上の国家であったために攻め込むために海を埋める必要があり、13年間も抵抗を続けたそうです。 ここに、主のために働いた軍勢のことを考えてみたいと思います。罪を悔い改め神と共に歩みだすことをしない国々のために神の裁きの担い手として用いられた軍勢の苦悩とその報いがあったことを知ることができます。すなわち、「みなの頭ははげ、みなの肩はすりむけた」(18節)、「エジプトの地を与えよう」(19節)とあります。 大切な二つのことを確認しましょう。そして神に出会いましょう。 第一に、自らの中にエジプトのようなおごりがないか。神を忘れて生きていないか。神に頼らないで自らの知恵に頼っていないか。すなわち、罪を悔い改めないままで放っていないか。 第二に、ツロ攻略の戦いのように主のためのはたらきを担っているか。13年間も海に土を投げ込み続けるのです。 神のための働きには神が報いてくださるのです。 |
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