「なぜこばむのか」(ヨハネ3章16節) ( 10.28/2018 )
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(16節)

きょうは、なぜわたくしたちが神の愛をこばんでしまうのかを考えましょう。昔、ユダヤ人の指導者にニコデモという人がいました。彼は主イエス様が行われたきせきを見て、主イエス様は神様のところから来られたと信じていました。しかし、彼には神の愛がわからなかったのです。

昔々、父親が未信者であって、自分が宣教師になることに反対しているということをうったえた友人のために、友人の父に「なぜ、あなたはイエス様を愛さないんですか。」といいに行ったこどもがいたそうです。この父親は気をわるくしたでしょうが、何しろ相手が小さなこどもだったので、どうしてよいかわかりませんでした。またこのこどもは目になみだをいっぱいにためて彼にたずねました。「なぜ、あなたはイエス様を愛さないんですか。」と。彼のこころからこの質問がはなれなくなりました。手紙を見ても、道を歩いていても、この声をふりはらうために早く布団にはいっても、内なる小さな声がそれをくりかえしてたずねるのでした。とうとう彼は真夜中におきあがって言いました。「キリストがうそをついているところを見つけてしょうめいしてやろう。」彼はねどこからとびだしてヨハネの福音書を開きさいしょから読みはじめ、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と書かれてあるところまできました。これはなんという愛だろうと彼は思いました。ついに友人の父親のこころは感動し、ただちに彼はひざまずいて祈りだしました。夜が明けはじめるころまでには、神の国にいるものとなっていたそうです。

さて、あなたが主イエス様を愛さない理由はなんですか。人がキリストを愛さないりゆうをもっているのは、この地上においてだけです。ヨハネのもくしろく5章12節を読みますと、天上では人は主イエス様を知っています。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」と賛美の歌をうたっています。もし、あなたがキリストをお知りになれば、主イエス様を愛さないりゆうを見いだそうとはなさらないでしょう。かれはすべてのもののかしらであり、愛に富んでおられるお方です。

もし、私もクリスチャンになりたいと思っておられるなら、キリストにこじんてきな友として近づいてください。キリストは、今生きている人たちがあなたの前にこじんてきにあらわれるのと同様に、いつも身近にいらっしゃいます。ですから、悩みやこころみや苦しみがあるときには、それを持ってキリストのもとに行くのです。彼に相談したいことがあるときには、あたかも顔と顔を合わせて話し合うかのように彼の前に行きます。もう、道を探して歩きまわることを止めて思い切って彼に近づき、あなたの重荷を彼の上に置いてください。彼は必ずご自身を現してくださいます。彼は必ずあなたが必要としている真実の同情ある友となってくださいます。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14章6節)愛の御手ありき。

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