「霊の救い」(使徒の働き6章7節) ( 11.12/2018 )
「多くの祭司たちが次々に信仰に入った。」(7節)

霊の救いに至らない説教、信仰生活、恐らくこの辺りに問題があるように感じます。しかし、主イエス様の時代、十字架を前にして逃げ出した弟子たちはペンテコステの日以来、「御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことをよろこびながら」(使徒の働き5章41節)、と主イエス様の御名のために苦しむことも喜ぶ人々に変えられました。わたくしどものこの時代はどうでしょうか。

祭司たちがかつて信仰に入ったと証言されています。祭司たちもまた律法を行うことができずに苦しんでいた証拠がここにあります。すなわち、主イエス様に向いた時にはじめて、彼らの人生は変わったのです。光に背を向けると影を踏む人生になりますが、光に向き直って光に向かって歩むならば罪を犯さなくてすむのです。

罪とは何でしょうか。神に対する反抗心のことです。もし、主イエス様を信じるなら神をうらんで生きなくてもよくなるのです。神を喜び賛美する生活に変えられるのです。昔、福島県に木田俊彦という牧師先生がおられました。その先生が「私は主イエス様によって大病を癒してもらいました。」とおっしゃったとき、その先生の人生と神様との関係がわたくしのにぶいこころにも届いて来ました。(主イエス様はよみがえられて、この先生を癒されただけでなく、この先生のうちに住んで光をあかししておられる)と感じました。その他、病が癒されなくても「医者を必要としているのは病人だ」という聖書のことばで神様を信じたと証されている兄弟もおられます。

内住のキリストの臨在を知り、自分のものとし、証しすることが必要です。主イエス様のよみがえりの栄光は、あなたのうちにも与えられているはずです。「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、」(ヨハネ14章26節)、「御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」(ヨハネ16章14節)主イエス様のうけられた栄光が、今、あなたの全性質にも満たされ、天の喜びと力を知り、神のすばらしいみわざを賛美するのです。

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