「キリストの愛に取り囲まれて」(2コリント5章14節) ( 11.18/2018 )
「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。」(14節)

キリストによって神は私たちを神ご自身と和解させてくださったというのがこの5章をつらぬくメッセージです(18節)。私たちの罪はどこに行ったのかといいますと、15 節には「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」そして21節に「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」と、信じがたいことかもしれませんが、神は主イエス様の上に私共の罪を置かれたのです。

キリストの愛とは何でしょうか。罪を犯せない、そんな心を与えることでしょうか。試練を与えないことでしょうか。ちがっていました。しかし使徒パウロは6節と8節に「私たちはいつも心強い」と言っています。それは、要塞ではなく、世から隔離された場所に置かれたのでもなく御霊によって使徒パウロのこころにご自身の心を現わしあかしして下さっていたからです。その方策は神によったのです(5節)。

「死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。」(4節)洋服を着るように、キリストの十字架と復活、そしてペンテコステの御霊は死ぬべきものをのんでくれます。死ぬべきものとはなんでしょう。弱さがあるということです。すなわち、弱いまま。しかしキリストが死なれた、本当に死なれた。たとい外がどんなに冷たくても、このキリストおひとりの愛があなたを取り囲んでいます。ゆえに、こころを強くしてよいのです。あなたは新しく造られたからです。神と和解した者です。神があなたを責めないで義とし、福音を委ねておられます。主イエス様と同じ乗り物に同乗してキリストのみこころに従いましょう(10節)。こんなわたくしが、などと思わずに(20節参照)。キリストの愛が私たちの人生を取り囲んでいます。

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