「キリストの威光の目撃者」(2ぺテロ1章16節〜19節) ( 11.25/2018 )
「この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。」(16節)

本日はこども祝福式礼拝です。聖書のマタイの福音書に「イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、言われた。『この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。』」(マタイ18章2節〜5節)ある子どもは、自分の家が貧乏で、父親は酒飲みで、自分は頭が悪く、友達たちからは馬鹿にされ悩んでいたそうです。でも、この少年は校長先生が、小さの石でできる波紋を見ながら「(波紋を作るのは)大きな石にはできんことだよ」と告げた言葉で人生が変わったそうです(1コリント1章26節、27節)。
栄光の存在にならなくても、目撃者という立場で良いというのです。
ペテロは主イエス様にかけられた神様の御声の証言者となりました。校長先生から波紋の話を聞いた少年はキリスト者になりました。わたくしは昨日「主がいつくしみ深い方であることを」(1ペテロ2章3節)を読んだとき、心にやさしい思いを与えられました。
では、目撃者となる秘訣は何なのでしょうか。それは、聖書を読むことです。私共も聖書を読むことを通して神様の御声を聞き、主イエス様のご威光の目撃者にして頂きましょう。

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