「実行する神」(テトス3章5節) ( 12.10/2018 )
「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました」(テトス2章5節)

橋本壽賀子さんの脚本で放映された「いのち」の登場人物ハルさんは男に裏切られたこと、せいさんは自分の仕えていた家を守れなかったことが、死のうとした原因だったのだと思いますが、それぞれ不思議なように助けられ、生きる道を選んだ結果、のちに「生きていてよかったね」とささやき合います。聖書はこの人生を前向きに生きる力を「いのち」と呼んでいます。そして、そのいのちこそ、主イエス様のことです。ただ、問題なのは、神様を何か物を与えてくれるパトロン程度に見積もる病んだ心です。
すなわち、踏みつけられた愛に傷つく私共人間なのですが、愛の父であるお方を天にもちながら平気でその愛を傷つけている。これが現実なのです。聖書はこれが神とあなたとの関係なのだと私共を告発しています(ルカ15章11節〜32節参照)。ですから、自分に与えられている力を神様からのものとして神様に栄光を帰すことが必要なのではないでしょうか。「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。」(ローマ1章21節)心の暗さの原因は無知な心にあり、神への感謝を忘れているためです。

心の中で神を馬鹿にしていること、いや、知らないこと、そして信じていないこと、どこにその起源があるのでしょうか。本日考えたい点は、神は約束を守られたという点です。

「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました」(テトス2章5節)新生させ、きよめると神は約束してくださっています。「いや〜、体験していないね。」とおっしゃる方は今日から神に祈り訴えてください。神の約束は実現します。(私共の誇りが実現するのではありません。)
三浦綾子さんは病床で神のあわれみと出会いました。神の愛は実行的です。
律法を行えることが救いのしるしなのではなく、神のあわれみを体験することが救いです(ルカ18章13節)。三浦さんはとても魅力的な人物で複数の男性に好意を持たれました。しかしそれは彼女にとって神の御前に立つときに苦しみに変わりました。神はわたくし共の心の罪を照らしてくださいます。その上で、(罪深いままのあなたをわたしに委ねて従いなさい)と迫ってくださるのです。神がおられ、神のあわれみが私共を救ってくださるのです。

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