「義」(テトス3章7節) ( 12.16/2018 )
「それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。」(テトス3章7節)

今から70年ほど前、イギリスのC・Sルイスという偉い先生が『ナルニア国物語』という本を書きました。その中の『ライオンと魔女と衣装ダンス』という物語にエドマンドという男の子がでてきます。彼は白い魔女に王子にしてやると言われて彼女に従うのですが、魔女はエドマンドを殺そうとするのです。

私共の人生にも罪の誘惑があり、誘惑された時点ではその先に待っているのは楽しいことのように思いこまされているのです。しかし、実際は、その先に待っているのは死の恐怖です。

神はわたくし共が義に反逆した結果受けるべき死を減ずることなく、罪を犯したことのないご自身の御子を私共の代わりに十字架の死に渡し、私共のいのちを救ってくださいました。そして、死の支配をのがれさせるために、聖霊を送って私共を生かし、サタンではなく神に仕えることができるようにしてくださったのです。

エドマンドは救われるために何かできることがあったでしょうか。彼は助けが来るのを待つことしかできませんでした。しかし、彼のために救援隊が送られ、彼は助け出され、彼が犯した罪のためにアスラン(まことの王)は縛り上げられ、あざけられ、石舞台に引きずり出され、そして殺されました。しかし、世の創まる前の魔法によって彼はよみがえるのです。私共のために罪を負い死んでくださったお方はイエス・キリストです。このお方の十字架のゆえに、私共への裁きは完結したのです。

今、私共はどこに立っているでしょうか。白い魔女のもとでしょうか。それとも、救援隊に助け出され、アスランのもとにいるでしょうか。すでに、教会に来ることができた時点で、アスランのもとに来ているのではないでしょうか。エドマンドが助け出されたときできたことは、兄弟たちに謝ることだけでした。私共も今日、主イエス様にお詫びして、神の民としての歩みを始めましょう。ポイントは、キリストの恵みによって義と認められ、という点です。たとえば、学生も公に学生と認められていますが、月謝を払っているのは保護者ではないでしょうか。わたくしどものためには主イエス様がおられます。ですから、主イエス様のゆえに、公に認められている救い(義)なのです。
では、今後どのように生きて行けばよいのでしょうか。復活したアスランは、魔女が石化し奴隷にしていた人々に息を吹きかけました。すると、彼らは生き返って動き出したのです。同様に6節に「神は、この聖霊を、私たちの救い主であるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」とあります。聖霊によって罪の束縛から解放されるのです。相続人ですから帰ることのできる場所があるのです。義を受け取り、魔女の奴隷にならないで聖霊に満たされ神と共に歩みましょう。

TOP