「御子を信じる者」(ヨハネ3章16節) ( 12.31/2018 )
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節)

舌切り雀という昔ばなしでは、チュンコという雀が洗濯のりを食べてしまったことに腹をたてておばあさんがチュンコの舌を切るところから物語が始まります。しかし、物語の最後の場面はおばあさんが反省してチュンコの仲間たちにエサを与えているところで物語が終わるのです。いじわるや欲張りがこの物語のテーマのようです。おばあさんは宝と思ってかついでいたつづらの中身がオバケでそれに追われるわけですが、このおばあさんはこの一回の体験で神に喜ばれることが何であるのかを悟るのです。

ニコデモというユダヤ人の指導者は、主イエス様が神様の宮から商売人たちを追い出した姿を見てイエス様に神が共におられると確信しました。そして彼はイエス様にどうすればわたくしたちが神の国を見ることができるのか質問します。その答えは、光に来なさい、御子によって世は救われる(17節、20節、21節)、でした。

ある商人(キリスト教会の役員さん)は、自分は逆境に立たされたことによっていっそう、みずからの罪を示され、弱さを知り、十字架と復活の恩寵が身に染みたそうです。逆境は罪と神の愛を知るときだったのです。
罪とは何でしょうか。肉と霊の対比が6節に記してありますが、ガラテヤ人への手紙5章19節以下には不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、めいてい、ゆうきょうであると教えています。そしてこれらのことをしていると神の国を相続できないとあります。人間の生まれながらの性質はここが出発点だというのです。しかし、御霊の実があると聖書は教えています。御霊の実とは愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

逆境や自らの力で対処できない肉の問題を、神を否定する材料にしていないでしょうか。しかし、神はひとり子を遣わして世を救うと言っておられます(17節)。どうやって救うのでしょうか。神は御子を与えるという方法で救ってくださいました。そして、彼の御名を信じるという方法で救い、神にあってなされるみわざをもって証明してくださるのです(21節)。
テクラというクリスチャンは総督の前で証言したそうです。「わたしは神のしもべです。神の子を信じています。野獣からわたしを守っていてくださったのはその方、救い主、いのちの源なる方です。彼は、嵐の中の人々の拠り所、苦難の人々の安らぎ、絶望の中の人々の避け所です。彼を信じない者は永遠の死に遭うでしょう。」と。
彼女にとって神を信じていない時代の彼女の未来は永遠の死しかなかったのです。しかし彼女はイエス様を遣わしてくださった神を知ったのです。そして神を知った時、世の権力者を恐れることがなくなり、真の神に仕えるようにされたのです。光よりも闇の方を愛したということのないために、今日、ひとり子の御名を信じましょう。神のなされたことを証しするために光に来ましょう。

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