「互いの重荷」(ガラテヤ6章2節) ( 1.6/2019 )
「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ6章2節)

「重荷」これが、人間関係を築くうえで大きな課題です。もし、重荷を打ち明けることができないままで、家庭を築いてしまうと重荷は本人だけで背負わなければならなくなり、その家庭は長く保つことは難しいでしょう。では、どうすれば、自分にとっての重荷が何であるのかを家庭や社会において、互いにその重荷の内容を打ち明け合いそれを負い合うことができるのでしょうか。

それは、自分を飾らないことでしょう。しかし、かっこよくありたい、尊敬されたいという思いが邪魔をするかもしれません。また、もうひとつの問題は、自分の理想を相手に期待してしまうことでしょう。しかし、聖書は重荷が存在することをはっきりと認めています。相手の重荷を受け止めることができるか、それが鍵です。重荷は隠すべきものではなく、否定してよいものでもなく、互いに受け入れ合い負い合うべきものであることを知るのです。

セルマ・ラーゲル・レーヴの作品の中に出てくるフランチェスカは別れた夫ラニエロの後を、涙を流しながら追従しはじめ、夫の願いがかなうことを思い神に祈りをささげたとき、試練と共に神の奇跡が起こりラニエロとの新しい生活が始まりました。また、ある牧師夫人の書いた文章に、「夫を母親のようにやさしくもたれさせ、心ゆくまで甘やかしリラックスさせてやります。そのような雰囲気を作ることも女のやさしさから出てくるものでしょう。…妻にとって立派な家に住むことも大切でしょうが、それ以上に夫に愛され慕われることが必要なのです。」とありました。弱さを受け入れてもらいたい、尊敬されたいなど、それぞれ求めていたものがあったようです。相手の必要に気づき、話しかけるやさしい心が必要なのかもしれません。重荷を受け入れ合うなら、苦しみから救われる日は来ます。
フランチェスカのように相手の重荷のために神に祈ることから始めてみませんか。

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