「神の宮と偶像」(2コリント6章16節) ( 1.15/2019 )
「神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。」(16節)

コリントの教会の信徒たちが直面していた問題は偶像礼拝であったということがこの16節によってわかります。すなわち、悲しいとき(10節)、食べることができない時(5節)など、真の神に訴えることなく、身近な助けを求めてしまう危険性があったのです。

パウロがここまではっきりと偶像の危険性を語り、偶像に頼らずに神により頼むことを勧めることができたのは彼が神の宮とされて生かされる人生に喜びがあることを体験していたからでした。

わたくしが尊敬する信仰の先輩は社会的には悲しみや悪評などの困難を経験されたのですが、信仰を投げ捨てることなく、また偶像の慰めに屈することなく「いつも喜んでいる」(10節)という生活を見せてくださった方でした。今、自分自身が偶像という誘惑に直面するとき、私自身も「あなたは偶像から救われて神の宮とされたのではないか」という問いかけを神からいただいております。同時に、悲しみや困難を覚悟しなければならないことも少しずつ示されております。

皆さまは、今日のみことばに対してどのように応答されますか。バークレーという有名な聖書注解者は、「あなたが聖書から何をひきだすかは、あなたが聖書に何を求めて行くかによって決まる」と教えています。あなたが聖書を通して神を求めるなら、神は必ずあなたにご自身を現してくださいます。主イエス様は、「求めよ、そうすれば与えられるであろう。」(マタイ7章7節)と約束されました。神に祈りはじめましょう。さびしかったり、つらかったりするとき、偶像ではなく、生きておられる神を求めてみませんか。

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