バベルからの離脱(創世記11章1〜9節) ( 1.20/2011 )
1.創世記の中での位置

内容は大きく分けると「天地創造と原初の人類」、「イスラエルの太祖たち」、「ヨセフ物語」の三つに分けることができる。

1. 天地創造と原初の人類
 天地創造 1章
 アダムとイヴ、失楽園 2章-3章
 カインとアベル 4章
 ノアの方舟 5章-11章
 バベルの塔 11章

2. 太祖たちの物語
 アブラハムの生涯 12章-25章
 ソドムとゴモラの滅亡 18章-19章
 イサクをささげようとするアブラハム 22章
 イサクの生涯 26章-27章
 イスラエルと呼ばれたヤコブの生涯 27章-36章

3. ヨセフの物語
 夢見るヨセフ 37章-38章
 エジプトでのヨセフ 38章-41章
 ヨセフと兄弟たち 42章-45章
 その後のヨセフ 46章-50章
 ユダヤ人の歴史の物語は、聖書で『創世記』の次に置かれている『出エジプト記』へ続いていく。

2.構造とあらずじ

1節 全地が同じ発音、同じ言葉であった。全地とは、著者にとって全地であったという意見があります。同じ発音、同じ言葉とは〜語という意味ではなく、思想的に1つであったと考えられます。

2節 シナルの地とは、チグリス・ユーフラテス川が1つに相合する地域を指しています。

3〜4節 洪水という大災害の後でしたので、将来の安全を求めました。煉瓦を作り町を建てました。それは目的は団結のためでした。また塔を作りました。それは安全と勢力を示すためでした。

5〜7節 神から離れた一致を神は乱されたと解釈したらよいかと思います。神抜きの思想は危険であること、神と各個人との関係によって真が与えられることのゆえ。

8〜9節 神が人から霊を取られると、人の思想は混乱し、互いを疑い、相互に争うようになると注解されています。詩篇51篇12節「あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。」

3.洪水後に人類が考えたこととその行き着いたところ

現代文明もバビロニア文明となんの違いもありません。人類は神に頼らず、知恵によって安全と幸福を作り出そうとしています。文明とは神の力から自らの力で離反し神抜きの誇りを樹立しようと企てる自己奉仕です。神を利用するだけで神に対してすべてをささげることは考えることが出来ません。その結果は、混乱と失敗です。社会組織は乱れ戦争にまで至ってしまいます。バベルとは「みだれ」を意味する言葉です。

4.まとめ

国の救いは文明にあるというところが間違いです。文明は国を救うのでなく滅ぼします。では国を救うものが他にあるのでしょうか。それは、神の正義です。これはアメリカが行っていることではありません。神を通して示された正義です。すなわち、どんなに弱さや過ちの中に悩む者にも立ち直る機会を与えてくださる事を、イエスを通し、イエスに倣う生き方です。数々の文明は今地下に埋まっています。今の文化の立派なものも将来の墓石ではないでしょうか?国を救うのは文明でなく、福音です。(大正3年11月4日、東京柏木聖書講堂にて 内村鑑三講演より)

5.世界史の視点から

旧約聖書の時代の人々にとってバベルの塔はどのように受け止められたのでしょうか?

●ウル第三王朝 
ウル・ナンムは、「キ・エンギとキウリ(シュメールとアッカド)の王」を称し、一時衰えていたシュメールの文化を再興した。アッカド語にかわって、再びシュメール語が優勢になるのもこの頃である。ウル第三王朝の諸王は、みずからを神格化することで権威の維持をはかった。王を神格化する習慣は、前のアッカド王朝、ウル第三王朝、そしてこの後のイシン・ラルサ王朝のみにみられるもので、古バビロニア王朝では消えてしまった。建造されたジッグラトも、王を讃える碑文も、神に対するのと同様に作られていた。

ウル第三王朝の行政は、各州に分散した知事によって行われていた。そのせいか王は自分の事業、つまり大規模建築に没頭していく。ウル(現テル・エル・オベイド付近)に復元された「赤のジッグラト」は豪壮な神殿建築で、ギルガメシュ神話に登場する「バベルの塔」の原型とも考えられている。このようなジッグラト(聖塔)が各地につくられた。

王は神の化身として国家の経済を掌握し、何層にも分化した官僚制をしいてそれを維持していたと伝えられる。権利関係書や労働者への賃金などに関する文書が、粘土板として数万枚も現存していることからもそれがうかがえる。だが行き過ぎた官僚主義は過度な中央集権化を招き、地方分権が形骸化するにおよんでそのひずみが明らかになったのである。

最後の王イビ・シン(在位前2046年〜前2021年)のときに飢饉がおこり、王朝は崩壊した。と同時に、大挙して侵入したアラム人によってシュメール人は駆逐されたか、民族浄化が行われたと考えられる。イビ・シンは連れ去られてしまった。

6.聖書学の視点から

バベルの塔の物語は、ヤハウェ史料層(前10〜9世紀)に属し、単に地名の由来を説明する民間語源や原因譚ではなく、人間の高慢が人間相互の無理解を生んで、塔が建たなくなったことを強調している。物語の意図は、バビロンの塔の起源に託し、洪水後再び神に背いて挑戦しようとした人間の高慢にないする神の審判を示すことにあった。(旧約聖書の世界 高橋正男著より)

7.現代社会の視点から

世界貿易センタービルの破壊など、社会の繁栄の象徴とされたものに疑問が投げかけられ、真剣に社会の向かう方向が問われている時代です。アブラハムのようにまたソロモン以降分裂したイスラエルの人々のように私たちも今の生活を省みる時が来ていると感じます。

神を抜きにした文明の追求は混乱をもたらしています。今、個々人が神のみこころを考え受け取り、個人的に神の前に立ってイエス・キリストのように弱者を飲み込もうとする世の力に決然と立ち上がることが求められているのではないでしょうか?

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