「満ち溢れる喜び」(2コリント8章2節) ( 2.4/2019 ) |
「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。」(2節) このみことばはマケドニアの教会の様子を証ししている部分です。彼らには満ち溢れる喜びがあったといいます。当時のマケドニア教会には使徒の働き16章から推察しますと占いの霊から救われた女性がいました(使徒の働き16章18節)。苦しみゆえの激しい試練とありますが、彼女は職を失い極度の貧しさを経験していたのかもしれません。しかし、貧しさにもかかわらず、彼女には満ち溢れる喜びがあり、その喜びがささげる富となったというのです。 彼女が体験したのはイエス・キリストの御名による占いの霊からの解放でした。ピノキオという絵本の物語がありますが、この物語の結末は人形が人間の子どもに変えられるというものです。(人形のピノキオの時代もピノキオは自由に生きていたのです。しかし、作者はあえて、最後に彼が人間の子どもになるように物語を描いています。)いのちがあって初めて本当の交わりができるのです。私共の人生において主イエス様と出会うということは、いのちを持つということです。知識を持つことではありません。正しいことを行ういのちを与えてくださるのが主イエス様です。そして「その行いが神にあってなされたことが明らかにされるために」(ヨハネ3章21節)教会に集い、主イエス様をほめたたえるのです。 この世の富を超える満ち溢れる喜び、すなわち知識ではなく真理を行ういのちを、主イエス様から受け取りましょう。 |
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