「わなからの救い」(詩篇91篇3節) ( 2.11/2019 ) |
「主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。」(3節) 罪を捨ててから教会に来るのではありません。罪を捨てるために、罪を抱えたままで救い主(すくいぬし)に祈るために教会に集うのです。 ある方は、喧嘩をして家を飛び出してから罪の誘惑の中にのみ込まれていったそうです。しかし、罪を犯したから終わりなのでも、罪の解決をしなければ元の生活に戻れないのでもありません。罪を処理できないままの状態で主イエス様に頼るのです。狩人のわなと恐ろしい疫病から救い出してくださるのは主です。罪を犯すのは神のない生活を送っているためです。まず、神に立ち返りましょう。 どうやって神のもとに帰るのでしょうか。罪を赦されそのかせを砕いていただくために自分を打ちたたくことで神が赦されるのではありません。ありのままの姿で祈ることによるのです。「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。」(ローマ5章6節)「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」(ヨハネ3章14節)「われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。…イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」(ルカ23章41〜42節)と。自分の犯した罪を認め、悔い改めるときに、地獄に属する肉のいのちに死んで、天国に属する霊のいのちに生きるようにされます。 信仰によって十字架にくぎ付けられたサタンの形を見ましょう。信仰によって十字架にくぎ付けられた自分の形を見ましょう。天の神の御前で成し遂げられた出来事をこの地上において主イエス様は見せてくださったのです。 |
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