「いのち」(エゼキエル32章10節) ( 2.20/2019 )
「わたしは多くの国々の民をあなたのことでおののかせる。彼らの王たちも、わたしが彼らの前でわたしの剣を振りかざすとき、あなたのことでおぞ気立つ。あなたのくずれ落ちる日に、彼らはみな、自分のいのちを思って身震いし続ける。」(10節)

エジプトはじめ周辺諸国がバビロンによって滅ぼされるという預言がこの32章の内容です。そこで繰り返されるのが彼らの多くは勇士であったと紹介されている点です(29節、30節)。神の裁きには勇士であることは何の力にもならないということです。では、自分を鍛えること以外に神の裁きに耐える方法があるのでしょうか。
私の祖母沖見さんは、戦時中伯父を背負って空襲を避けて走り回ったような方だったのですが、主イエス・キリストが十字架上で自分の罪の贖罪のために死んでくださったことを知り、信じた結果、エドムとその王たち、そのすべての族長たち(29節)も受けることができなかった罪赦しを得、永遠のいのちを神からいただきました(神が受け入れて下さったことをはっきり知りました)。その後、伯父にただ主イエス様を証しする人になりました。

結論は「神である主のみ告げ」(32節)とありますので、神に主権があり、神を神として畏れることが大切なのだと分かります。すなわち、人にではなく真の神にこそ問題を解決する力があるということです。そして、今日注目したいのは「自分のいのち」についてです。エジプトに神の裁きが下るとき、自分のいのちを思って身震いし続けるというのですが、やがて身震いして尽きるいのちならば、主イエス様が教えてくださったように、自分に罪を犯した者を赦すためにこの「いのち」を用いてみてはいかがでしょうか。

「わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください。」(ルカ11章4節)これは、主イエス様が教えてくださった祈りです。いのちを用いて主イエス様の教えを真剣に行ってみようではありませんか。まずは一つだけ、神の主権に従ってみましょう。そして、主イエス様の血によってあがなっていただいたいのちを少しでも豊かなものに変えていただきましょう。主イエス様の血によって私共の過去はいっさい拭い去られたのですから。

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