「証拠」(2コリント9章13節) ( 3.4/2019 )
「このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。」(13節)

序論

福音とは何なのでしょうか。良い知らせとよく言われますが、1テモテ6章11節、12節(412頁)によりますと、金銭を避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさいとあります。10節には金銭はあらゆる悪の根と警告されています。金銭に勝るものです。1コリント15章には福音について詳しい説明がなされています。さて、この福音の種、すなわち証拠と呼ばれるものは多く蒔けば多く刈り取るとも約束されていて(6節)、世々の聖徒たちが追い求めてきたものです。

I.準備すること(1節〜5節)

マケドニアの人々の必要のために、アカヤの人々が助けの手を差し伸べようとしていたのですが、その為には準備が必要であり、準備することをお勧めするために兄弟たちが遣わされました。また、献金は惜しみながらするものではなく好意に満ちた贈り物であると教えられています。

II.牧師たちは生かされている(12節)

「この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく」牧師の生活は信徒さんたちの献金によって支えられていますので、牧師たちが生かされているのは、神は人々を金銭から救うことができること、そして神は人々に愛に生きる人生を与えることができるお方であるという証拠です。すなわち動物園の動物たちのようなものです。

V.蒔く種を備える神(10節)

 E・T・Aホフマンの書いた『くるみ割り人形と鼠の王様』に出てくるクララは自分のはいていたスリッパで剣を持った鼠の王様に立ち向かうのです。素手の少女がスリッパで立ち向かい勝利に貢献します。クララは(くるみ割り人形の怪我は治っただろうか)と心配して夜中におもちゃの棚のある大広間にくるみ割り人形を見舞っただけです。神は私たちに預けられているわずかなものでもご自身の栄光のために用いてくださるのではないでしょうか。

結論

私共に神からゆだねられているスリッパとは、何なのでしょうか。

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