「人生を変えたことば」(ヨハネ3章14節) ( 3.11/2019 )
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」(14節)

序論

蛇とはサタンを意味します。すなわち、十字架によって主イエス様は私共のためにサタンとして裁かれてくださったことを意味しています。なぜでしょうか。私共の内にサタンに属するものがあるからです。しかし、このサタン来のものが主イエス様の十字架のゆえに死ぬときに新しい生活が始まるのです。裁かれなければならない罪について目をつぶる間は、新しい生活は訪れません。

1.自分を喜ばせる生き方をやめること

創世記5章にエノクという人物がでてきます。彼はメトシェラという子が与えられたときから神と共に歩みだしたと証しされています(創世記5章22節)。私共にとってのそのような転機を与えるものとして今日の中心聖句は十分な力があると思うのです。それは、主イエス様の心を知ることができるからです。罪を解決することは主イエス様の意志です。罪の解決の場が十字架です。

2.神に喜んでいただける生き方を選ぶこと

「神に喜ばれていることが、あかしされていました。」(へブル11章5節)これがエノクについての聖書の証言です。自分を喜ばせることを選ぶのが当たり前の時代に、彼は神に喜ばれる道を選択していたということです。ラザロのように。(ルカ16章29節)

3.心の中まで

神から遠い生活を悔い改めて、神に立ち返るとき、いったいどこまで神に近づけばよいのかという問題が起こります。答えは心の中まで、神に似る必要があります。神は赦されるかもしれませんが、私は無理です。というのは良くないのです。「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」(へブル9章14節)

結論

蛇を上げたように、と主イエス様はおっしゃってくださいます。すなわち、私共の罪をにない、裁かれる覚悟でいてくださるのです。ゆえに、今日が罪を捨てる日です。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。…もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。』」(ヨハネ8章34節、36節)

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