「見張り人」(エゼキエル33章8節) ( 3.18/2019 ) |
「わたしが悪者に、『悪者よ。あなたは必ず死ぬ。』と言うとき、もし、あなたがその悪者にその道から離れるように語って警告しないなら、その悪者は自分の咎のために死ぬ。そしてわたしは彼の血の責任をあなたに問う。」(8節) 序論 世には、罪の情景があからさまに映し出されます。冗談、いじめ、淫行等、それらを見聞きするだけで私たちは霊的に悪しきものにとらえられ、行くべきゴールを見失います。そして、罪の行きつくところは死です。聖書は、人の本分は神をおそれその命令を守ることだと教えています(伝道者の書12章13節、ルカ10章25節〜37節)。もし、ゴールを間違ってとらえていることに気づいたならば、今日悔い改めなければなりません。そして、今日のテーマは見張り人が自分の責任を知らないということなのです。 1.警告の力(5節) 罪の力に押し流されるままになっている人々(10節)に対して、「角笛の音を聞きながら、警告を受けなければ、その血の責任は彼自身に帰する。しかし、警告を受けていれば、彼は自分のいのちを救う。」(5節)と言われています。警告はいのちを救うのです。 2.見張り人の責任(8節) 「その悪者は自分の咎のために死ぬ。」すなわち、見張り人の責任は重く、警告を聞いたことのない方々を、それぞれの咎のために死に至らしめます。では、ひとつだけ、聖書を一度も開いたことのない方のために、聖書に記された神の命令を見てみますと、「それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」(エペソ5章33節)守れていないことを感じるとき、どうしたらよいのでしょうか。 3.神は生きておられる 神のみわざを体験できた父親はこう叫びました。「するとすぐに、その子の父は叫んで言った。『信じます。不信仰な私をお助けください。』」(マルコ9章24節)と。「不信仰な私をお助けください。」と心から叫んでみませんか。そのためにここに教会があります。 結論 神の救いのわざが起こっている(神が生きておられる)以上、責任も確実に問われます。まず、人生の目的が神を恐れ、その命令を守ることであることに同意しているか。罪ではなく神を愛して、神の救いのわざを日々体験しているか。福音を伝えているか、まだもし神に反逆し続け罪を犯し続けているのなら、神に叫んでいるか、自らに問いましょう。 神にはあなたを救い出す力があります。証拠に教会はここにあります。そして私も神に救っていただいています。神を愛して従う仲間が教会にはいます。 |
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