「永遠のいのち」(ヨハネ3章16節) ( 5.14/2019 ) |
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節) 序論 永遠のいのちとは何なのでしょうか。それは神を知り、真理を行い、光のほうに来る力です。そしてそれは御子によって世が救われた結果であり、神によるのです。「神にあってなされたことが明らかにされるためである。」(21節)と説明されています。 1.神の存在 聖書は「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1章1節)天と地を創造したお方を神と呼んでいます。人間が祀っているものが町や家や会社にはたくさんあると思いますが、神はそれらを嫌われます。「おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録21章8節) 2.神の愛 神のみこころには何があるのでしょうか。(神がおられるなら苦しみがあるはずがない。また、戦争をゆるされるはずはないし、死や離別はなくされるはずだ)と思っておられる方がおられるのではないかと思います。しかし主イエス様は、苦しみや悲しみが問題なのではない、あなたは天の父の子になりなさいと命じておられます。「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」(マタイ5章43節〜45節)また、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3章16節)とあります。では、神の愛とは何なのでしょうか、神の愛とは「ひとり子をお与えになった」ことだと教えてくださっています。では、何のためにひとり子をお与えになったのでしょうか。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(1ヨハネ4章9節〜12節) 3.永遠のいのち 黙示録20章の後半に人はそれぞれ行ってきたわざに応じて裁かれると記されています。しかし、今、生きているこの時に神と交わるいのちを持っているかどうかを主イエス様は問うておられます。 あなたはこのいのちを持っておられますか。主イエス様は、神の愛のしるしはあると、それは御子を世に与えてくださったことだと言っています。この御子を信じる者はひとりも滅びることがないと神を信じる動機を与えてくださいました。 結論 苦しみの中でも永遠のいのちは存在しています。あなたはそれを持っておられますか。神の愛を知っておられますか。神を否定して人を憎むのではなく、神を信じて人を愛してみませんか。ある女性は、元気な間はご主人を「あの人」と呼んでいたそうです。しかし、自分の体が弱り足を引きずるようになって、「主人」と呼ぶようになったそうです。神が愛ですから、神に従いましょう。 |
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