「知恵の教会から霊の教会に−牧会者の姿勢」(コリント人への第一の手紙2章1〜5節) ( 1.30/2011 )
「兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった・・・それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。」
                   (コリント人への第一の手紙2章1〜5節)

コリントはギリシャのアカイア地方にあるローマ帝国有数の大都市で、パウロが伝道旅行で2年近く滞在しアクラ・プリスキラ夫婦と共に築いた異邦人主体の教会です。パウロ達が去った後、エルサレムから訪れた使徒の弟子達やコリントにいたアポロ達指導者との軋轢により、パウロの使徒としての資格にも異議が唱えられ、また狂信的信徒達も現れ、教会内や信徒の家で預言や異言などをまちまちに語るようになり、性的乱れも生じたりして、異邦人とユダヤ人混合の教会は分裂気味に陥ります。

この状況を憂慮したコリント教会のパウロの直弟子のステパナ一家は「クロエの家の人たち」の手紙と信徒からの質問状を携えて、エペソの牢獄に繋がれていたパウロを訪ねます。パウロは、自身に対しても非難が強くなったコリントの教会に対し、状況を何とか是正しようと考え、使徒としての権威を前面に出して手紙を書いたのがこの書簡です。書簡中、ユダヤ人の閉鎖的律法社会と異なり、色々な人種が入り混じった異邦人の開放的環境の中での、信徒達共同体の問題点が色々と出てきます。パウロはユダヤ人社会で成長しましたから、このような異質な状況に混乱し、驚愕し、怒り、非常に苦悩します。コリントでは、律法否定のパウロ派、聖書に詳しい雄弁家のアポロ派、イエスの直弟子・使徒ケパのペテロ派、イエス直伝と称するキリスト派などが現われ、分派争いが起こっている事を聞き、「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」、「キリストは一つ」ですと、和解を勧告します。

2章1−5節は、パウロ自身がコリント教会の最初の宣教では、言葉と知恵を用いないで、十字架につけられたキリストを宣教した体験を述べます。アテネでの失敗(使徒17・32)で、衰弱し不安であったパウロの弱さに働いた神の霊と力によって、コリントの人々はキリストを信じたことを思い起こすようにと指摘します。すなわち、人間の知恵に溢れた言葉によらず、神の霊と力によって起こった事なのだと。イエス・キリストは神の力・神の知恵であり、人の世の知恵ではない。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探すが、我々は十字架につけられたキリストを宣べ伝える。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い。知恵ある者に恥をかかせるため、また神の前で誇ることのないように、無学・無力な者、身分の卑しい・見下げられた者を選んでキリスト者としたのです。そして、霊の人(霊によって動かされたパウロ)は一切を判断するが、その人自身は誰からも判断されたりしないと、信徒を戒めます。

教会とは、人間の言葉と知恵だけでは成り立たないとパウロはここで指摘してます。神の力と知恵、それは人間にとっては神の霊なのでしょう。教会とは、イエスを主キリストとする霊の教会なのです。今まで、豊かさで神の祝福を証ししようとしてきた私自身の過ちを認め、キリストに従い、弱さと恐れと不安の中で支えてくださる神の力を証し出来る、霊の教会の牧師になりたいと願っております。

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