『キリスト誕生の準備』(マタイ1章1節〜17節) ( 7.2/2019 )
「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。」(1節)

序.

マタイの福音書は旧約と新約の橋渡しの書。一章の系図は旧約の歴史。歴史とはヒズ・ストーリー。「神の物語」。人には二種類の生き方がある。自分の歴史の中に神という軸を認めるか、認めないか。マタイ1章はキリスト誕生の準備の書。前半は歴史の中における神の側の準備の書。後半は機が熟した時の人の側の準備の書。マタイの系図はダビデを中心とする王の系図。アブラハムに約束された全世界の祝福の基となるイエス・キリストは、人類を罪と死から救う王として誕生されたことを表す系図。

1.アブラハムからダビデまでの系図(2-6節)

前半の系図の中に出てくる4人の女性の名はイスラエルの不名誉な歴史を浮き彫りにする。1)タマルはユダがカナンの地で長男に迎えた嫁。長男・次男が死に、法律に反し三男の嫁に迎えなかった為、命懸けでラハブが舅ユダによって子を生んだのがパレス。2)ウリヤの妻、とはバテシバ。ダビデが他人の妻を奪い、夫を戦場で死なせた罪を悔い改めた後に与えられた子がソロモン。他の二人は、ラハブはエリコの遊女、ルツはモアブ人という異邦人だが信仰をもってイスラエルに加えられた女性達。イスラエルの歴史の中で人の弱さを赤裸々に表した出来事。神は人の不名誉も神のご計画の中に用いられることになる。キリストは人の弱さも汚れも知って人の間に生まれてくださった救い主。

2.ソロモンからイエスまでの系図(7-17節)

後半は、もっと悲惨なイスラエルの歴史。ソロモンの息子以後、イスラエルは神に背いては帰り、また背く。偶像礼拝の時代。ついにバビロン捕囚の時、ソロモンの子孫は途絶え、弟の子孫によってかろうじて系図が保たれることになった。神の忍耐と憐みの時代。神は律法によって民に祝福と呪いを宣告された。民は律法に立ち返らず呪いの歴史に入っていった。十字架の上で呪われ、人類を罪と律法の呪いから救い出すために御子イエス・キリストが誕生された。
 罪と死と呪いからの救いの幕開け。

3.人の側の準備 (18-25節)

背信の時代の終わりに、一組の夫婦が御子の誕生のために備えられた。神を信じる信仰ある夫婦。夫婦の関係を持たずに、妻マリヤに神の霊によって子が宿った。夫ヨセフは律法を守る正しい人であったので苦悶したが、御使いの言葉に従って妻マリヤを迎え入れた。幾多の危機を越えて、御子イエスは人の子として王の子孫ヨセフの家系に生まれ、長い間預言されてきた聖書の言葉は成就した。

おわりに.

 神の準備
キリストの誕生には長い準備があった。人間の子が生まれるためにも家族は準備する。キリストの準備は誰のためか?私のため。私一人が神のみもとに導かれるためにも、神は多くの準備をかけられた。一人の魂が新生するために多くの祈りがある。私達が神を認め、自分の心の王座を主に明け渡すため。
神を認めない歴史でなく、神の歴史の中に生かされる歩みを始めさせていただこう。

(説教者 田代美雪牧師)

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