「約束は、与えられるため」(ガラテヤ3章22節) ( 8.4/2019 )
「それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。」(22節)

分析

1節〜15節 十字架につけられたイエス・キリストが異邦人に及ぼしたもの
16節〜22節 律法により罪に閉じ込められ約束が信じる人々に与えられる
23節〜29節 キリストを着るものが相続人である

序論 

さなぎがさなぎのままでは、たまごがたまごのままでは悲しいのです。罪をゆるされたなら、御霊により神と交わり、神の御旨に仕えることができますように。(祈りをもって自分の願いを取り下げることができますように)

1.もしあなたがキリストのものであれば(29節)

夏休み期間中ですが、一日自分の計画を成し遂げるために使ってしまうか、キリストのように、神の御旨をおこなうために計画をたて自分をささげて生きるかで、神の約束を受けているものか受け取っていないものか、更に相続人か相続人でないかはっきり区別されます。

2.キリストとは(13節)

キリストとは私共のためにのろわれたものとなって、律法ののろいから贖い出してくださったお方です。なぜ、キリストは十字架につけられのろわれたものとなるという大変な人生を選ばれたのでしょうか。14節には、アブラハムへの祝福が異邦人に及ぶためであり、信仰によって約束の御霊を受けるためとあります。すなわち、キリストとは、キリストを信じる信仰によって約束の御霊を与えてくださるお方です。

3.約束の御霊(14節)

神様と関係のない人生を送っておられる方には約束の御霊も関係がないのです。けれども、その一方で、罪(神に反抗すること)ゆるされ喜んで神のみ旨に仕える人生もあるのです。ののしられても祝福することのできる人生もあるのです。キリストがそのように模範を残してくださったからです。そのように神のいのちに生かしてくださるお方が御霊です。御霊は罪と同居できません。罪を悔い改め(1ヨハネ1章7節)、罪から離れ、神に従う者のうちに宿り、導いてくださるお方が御霊です。

結論

死にたくないからイエス様を知りたい。信じたいという方がおられるでしょうか。善行によって罪が消滅することはありません。キリストが私たちのためにのろわれたものとなって下さったゆえに、私たちは律法ののろいから贖い出されるのです。(贖い出されたならそれでいいじゃない)ということを聖書は言っていないのです。このことを信じないと、信仰をもたないとだめだと言っているのです。すなわち、悪魔の手下となることを好んでいる間は、救いはないのです。神の子となり、罪から救われたいとまず願う必要があります。そして、死んだ後、神に受け入れられる人生を選択しなければなりません。そのことを義とされると言います。心の中に憎しみを抱きながら義はないでしょう。天国もないのです。悔い改めない人に天国はないのです。せっかく神の裁きから救われたのですから、約束の御霊に従いましょう。どの程度か、それは「キリストを着る」(27節)ところまで従いましょう。どんなに問題と罪が大きくても主イエス様の血への信仰があれば神の約束は成就します。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(1ヨハネ1章7節)。祈りの中ですべてをイエス様に告白しましょう。あとは御霊に導かれましょう。

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