「神に知られているのに」(ガラテヤ4章9節) ( 8.19/2019 )
「ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。」(9節)

奴隷と相続人という対比がこの4章にはなされています。ガラテヤ教会の人々に対して(あなた、また奴隷になってしまっているよ)と警告し、奴隷のような生き方をやめるように勧めています(30節)。

分析

1節〜7節 神の定めのときが来た 御霊を受け、神をアバ父と呼べるようになった
8節〜11節 神を知らなかった当時の生き方に戻ってはならない 神でないものの奴隷にならないように
12節〜20節 あなたがたのうちにキリストが形造られるまで 律法でなく福音の恵みがあなたを変え、うちにキリストが形造られるまでにする
21節〜31節 上にあるエルサレム それは私たちの母、奴隷の子ではなく相続人であることを知るように。迫害に驚かないように。

1.神が定められたときが来た

「父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります」(2節)、しかし、神の定められた日は来て後見人や管理者が表している律法の支配を脱しました。それは神が主イエス様を生まれさせ奴隷だったものを贖い出してくださったからです(5節)。

2.各種の日と月と季節と年とをまもっていますとは

この4章の書かれたきっかけは、ガラテヤ教会の人々の日常生活にありました。すなわち、彼らは律法を守って自分の願うところを叶えてもらいたかったのです。本来、神の相続人ならば、神が与えるものを相続するのですが、彼らはまだ自分の願う事柄の奴隷の状態でした。

3.約束によって生まれた人

肉の子と約束の子があると23節にあります。アブラハムは神の約束を待ちきれずに肉の子をもとめてしまった(創世記16章4節)のですが、「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。」(28節)すなわち、約束に生きるように勧めています。

聖書は、主イエス様を信じる者は罪を赦され、死後キリストの再臨の日に復活し天国に生きることを教えています。18歳で信仰をもち、世を去ったルツ子さんの残した言葉は、「感謝、感謝!」「もう行きます」だったそうです。神はおられ、約束に生きる人生を彼女は与えられたのです。

結論

神に知られているということは、パウロには目が見えにくい不自由さを乗り越えさせ、ガラテヤ教会の人々にはそのような苦しみを背負う隣人を愛する愛を与えました。御霊によって生まれなければ罪には勝てません。しかし悔い改めるなら先に進めるのです。神様とは死後ではなく、日々祈りの中で出会い罪と取り組み、奴隷を追い出し(30節)御霊に導かれましょう。神に祈ってみてください。「知っている」とおっしゃるはずです。このひとことばをもって肉の思いを焼いてもらいましょう。

TOP