「急いで降りて来なさい」(ルカ19章5節〜6節) ( 9.2/2019 )
「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。』」(5節)

序論 家庭に必要なものは愛です。そして、神は主イエス様によって愛を家庭に与えてくださいます。

1.見いだされた者

ザアカイは群衆の中から主イエス様に見出されました。今日、教会に来て造り主である神を礼拝している私共も神に見いだされた者です。そして呼びかけられるのです。「ザアカイ」と。聖書を手にして開けること、そして神の呼びかけを聞けるのは大きな特権です。
神を礼拝しているのか、主イエス様を礼拝しているのかわからん、という人がおられるでしょうか。テレビ番組で「県民ショー」というのがあると思うのですが、それぞれの県の席に座っている方々は県の代表者、あたかも県そのものを表す方として見ていると思うのですが、この場合、神ご自身が御子イエス様です。ですので、主イエス様を礼拝するということは神を礼拝しているということです。

2.急いで降りて来なさい

続く6節に、「ザアカイは、急いておりて来」た、と記されています。神の御声を聞けない傲慢さが、主イエス様の一声で砕かれ、彼はへりくだることができるようになりました。信仰とは自分の力を信じることではなく、神の力を信じることです。神の御声が私共の生活を変えるのです。
現在錦織圭選手のコーチを務めるマイケル・チャンは「信仰の本当の意味は、イエス・キリストと個人的な関係をもつことだ。神を知ること以上の喜びはない。あなたにも同じ喜びを味わってほしい。神の忍耐と愛を分かち合いたい。この愛は、あなたに変化を起こさせる。あなたの深い傷をいやす」と言っています。
偶像に逃げないで生きておられる神を信じることが幸いな人生への入口です。どうして御子は十字架を担われたのか。主イエス様に尋ねつつ歩みましょう。

3.あなたの家に泊まることにしてある

ザアカイはイエス様を家に迎えました。まず、自分の心に受け入れ、次に家族の主人として主イエス様をお迎えしたのです。今日は希和ちゃんの献児式が行われますが、希和ちゃんをご両親に与えてくださったイエス様を主人として崇めて生活されるなら、必ず愛の溢れる家庭となります。神は愛だからです。ザアカイの家族は金銭の奴隷から救われました。彼らは自分で自分を変えたのではありません。自分への信仰を止めて主イエスさまを信じたのです。主イエス様が私共の生活を変えてくださいます。
ある牧師先生が1テサロニケ5章9節「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。」から、辛いことが沢山あったけど「ぼくはきみのことを信じているよ」と言って下さる先輩の先生がいたと証して下さいました。どんな悲しみがあっても悲しみでは終わりません。あなたのためには、全知全能の神があなたを信じてくれています。

結論

たとえ、だれに、どんなふうに、あなたのことを揶揄されたとしても、主イエス様はあなたの家庭の客となって下さいます。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4章6節、7節)

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