「祝福の基とは」(創世記12章1〜20節) ( 2.4/2011 )
天地創造と原初の人類のメッセージが11章で終わり、12章からは族長たちの物語に入ります。その中で、この12章から25章まではアブラム(アブラハム)の生涯について記されてます。11章バベルの塔の物語の最後に、「主がそこ(メソポタミヤ)から彼らを全地のおもてに散らされた」とある通り、アブラハム達の父テラはカルディア(バビロン、今のイラク)のウルを出てハランまで流浪しますが、その地で亡くなります。ハランはユーフラテス川が右に大きく曲がり山岳地帯に入る手前、現在のシリアがトルコと接するウルファの近くで、このまま川を昇って北に行くか、それとも小アジアからギリシャ・ヨーロッパと西方向に向かって行くか、或いは地中海に沿ってエジプトの方向に下って行くのか、生きるか死ぬかの岐路に立たされます。

「アブラムよ。お前は心配するな。私が一緒にいて行き先を示すから、行きなさい。地上の人々は全てお前によって祝福を得る・・・私の言葉を信じて行きなさい」、アブラムはこの声に聞き従い、行く先を知らない道を進みます。アブラムがアブラハムと言う名前にかわり、信仰の父として称賛される所以がここにあります。75歳の息子アブラハムは神の声に従い、カナン(現在のパレスチナ)の地を目ざし、やがてその地を踏みます。

アブラハムと神との契約は一方的契約と言われ、神から与えられた恩恵(カナンの地を与える)と解釈されております。契約の義務は割礼と神への信仰以外ありません。アブラハムの後およそ1200年経過した頃、イスラエルの民はバビロニアとの長い戦いで敗れ、国家と王と重要な嗣業の地(カナン)と神殿を失います。バビロン補囚期に、イスラエルの民衆の声は・・・何故神は約束の土地を奪い、神殿を焼き払い、我々を見捨てたのか?神の契約は偽りだったのか?・・・この絶望と不信感、それに預言者の厳しい声が重なり、原始信仰(ヤハウェーエロヒム)を超えた本格的宗教(ユダヤ教)が生まれたと考えられているようです。

創世記12章はアブラハムとアブラハムの子孫であるイスラエル民族の出自(しゅつじ)を説明する物語であるとともに、厳しい自然環境と寄留民としての苦しい状況を耐えながら生き抜いてきた先祖のために、神の祝福がどのようなものであったのかを証しする物語です。

1.イスラエル民族の出自(11章18−26)

メソポタミアで繁栄したマリ王国(BC3000〜1750)図書館の粘土板に、マリ中央政府と地方行政官との往復文章が記されていて、その中に「---ペレグ、セルグ、ナホル、テラ、ハラン」の地名が登場します。これは創世記11章18-26「ペレグが三十歳になったとき、レウが生まれた・・・レウが三十二歳になったとき、セルグが生まれた・・・セルグが三十歳になったとき、ナホルが生まれた・・・ナホルが二十九歳になったとき、テラが生まれた・・・テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた」とありますので、アブラハムの先祖の名前は、このマリ時代の北西メソポタミア(パダン・アラム、アラム平原の意味で、その中心の町がハラン)の町々の地名から採られたのでしょうか。

2.寄留民の苦しみ

農耕社会であるカナンの地に移住してきたアブラム一行は、その地の都市であったシケムにはすでに原住民が居たため、高地に居を構えますが、ほどなく飢饉という命の危機に接し、一族は止むを得ずエジプトへ下ります。異国の社会で彼らが受け入れられる為に選択した道は、アブラムが美貌の妻サライを王宮に差し出す事でした。これは、現在の倫理観からは許されない行為でしょうが、難民であるアブラハムは、一族を守る族長としての責任がありました。しかし、神はそのアブラムとサライに恵みをもって、パロ(王)とその家の者たちに疫病が発症させます。パロはアブラムを召して叱責し、妻と財産と共にエジプトを去らせたと述べてます。

現代の日本にも在日外国人はたくさんおられます。生活の面において一部の方々を除き、非常に困難な生活状況があると推察されます。神が望まれる社会のあり方は、外国人も日本人と同じように共に生きていける社会ではないでしょうか?

3.信仰者としてのアブラハム

不幸と思える出来事に直面し、人は神と出会う事があります。 自分の努力や営みが無効とされ、挫折と限界に直面し、自我が打ち砕かれ、八方塞の状態に陥った時、そこで超越した方に出会う体験です。創世記が伝えるアブラムは、多くの弱さをもった一人の男であり、良い事も悪い事も行っております。しかし、アブラハムは万策尽きた状態で神と出会いました。神は挫折と限界を知ったアブラハムとその一族に対し、彼らの業績や行為によらず、絶望の中から得た神への素朴な信頼(信仰)ゆえに祝福を与えたと創世記は伝えます。シモーヌ・ヴェイユは『不幸について』の中で、「不幸の何であるかを知ったものは、決定的に神の不在を口にせざるをえない。にもかかわらず、その不幸の中においてのみ神が向こうから訪れ、その不幸の中においてのみ、神の愛を知る事ができる」と記しております。打ち砕かれた魂をもって、自己本位であった自分の赦しを乞い、謙虚な姿で神と対面し、安らぎに与る世界の中で、生かされて今ここにある事を受容しましょう。そこには憎しみはもうありません。憐れみを頂く人々との連帯に包まれる、そういう信仰者でありたいと祈ります。

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