『無力の力』(マタイ4章1節〜11節) ( 9.16/2019 ) |
「『人は・・・神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(4節) 序.いよいよ主イエスの公生涯(受難の生涯)が始まる。その前にサタンを通しての神からの試験。誘惑に勝つ力、宣教・十字架の道を歩み出す力の秘訣を学びたい。 1.主イエスの無力(1−11節) 宣教・受難の生涯に入る前に、神はイエスを荒野に導かれた。主は30数年間人と同じ経験をされた。その最後の準備。罪との対決。人が罪を犯す時の三大要因(欠乏、恐れ、栄誉)に主がまず勝利された。 1)欠乏の時 ここでなぜパンを作ることが悪なのか?神は奇蹟の無駄使いをされない。奇蹟には出る幕がある。すべて父の御旨による。「自分からは何事もすることができない」(ヨハネ5:19)。必要に応えるのが神ではなく御力を表し人が神を信じるための奇蹟。神の御旨(ことば)に従えることが祈りの応え、人の生命。 2)恐れの時 人は神を試す誘惑。神が助けてから信じるのは信仰ではない。「たといそうでなくても」神に信頼するのが真の信仰。 3)栄誉の時 栄誉が与えられる時人は大失敗しやすい。そこにも神第一を掲げる時、誘惑から逃れることができる。 主は自分の知恵で戦わなかった。父の御旨に頼った。無力こそ勝利の力。 2.暗闇に光 (12-17節) 主イエスの宣教は異邦人の地ガリラヤから始まった。神は追いやられた者に希望を与え、栄光を現す方。神の不思議。 3.「無学な、普通の人」(使徒4:13)(18-25節) 最初の弟子の召命。神は取るに足りない者を弟子に選ばれた。彼らが出来たことは自分を差し出すことだけ。キリスト馬鹿でいい。5つのパンのように、差し出されたものは幾千倍の祝福と神の栄光を表す器にされる。人は賢すぎる、強すぎる。神の出る幕がない。単純なストレートさには力がある。 おわりに. 無力の強さ 主イエスに倣い、神の御心のみを信じ、頼ろう。 弟子のように自分を差しだそう。 主は幾千もの祝福をもって、神の栄光のために用いてくださる。 その時、宣教は広まっていく。 (説教者;田代美雪牧師) |
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