「あなたがご存知です」(エゼキエル37章3節) ( 9.22/2019 ) |
「主は私に仰せられた。『人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。』私は答えた。『神、主よ。あなたがご存じです。』」(3節) 序論;神は罪深く価値のない人を招き、主イエス様の血で洗い、神の霊を内に住まわせ、人類の祝福へと造り変えることができます。これが、救いです。 分析 1節〜14節 枯れた骨の谷 15節〜28節 一人の王によって立つ一つの国 1.人生を決するお方 人生には恐れがあり、その恐れは私共の足をとどめ、前へ進むことをはばもうとします。このエゼキエル37章でのエゼキエルの神に対する信仰のことばは私共に一つの示唆を与えてくれます。エゼキエルが見せられたのは、非常に多くの干からびた骨でした。主はこれらの骨が生き返ることができるかと問われ、彼の回答は、自分にそれができるとか、自分にはできないということではなく、神である主がご存知だというものでした。 2.干からびた骨 「骨は干からび、望みは消え失せ、私たちは断ち切られる」(11節)これが人々の叫びでした。いったい何のゆえに、殺され、墓に葬られ、朽ちて骨になってしまったのでしょうか。4節には「主のことばを聞け」と、でてまいります。私共を生かすのは私共のわざではなく、主のことばであることが分かります。 3.神の計画は始まっている 神はエゼキエルにこの幻を見せ、将来のイスラエルの回復を告げておられます。4節に「干からびた骨よ。主のことばを聞け。」とあります。罪を犯すと、神から身を隠してしまうのが人間です。しかし、神は「身を隠せ」とはおっしゃっていないのです。弱さを感じるときこそ、主は預言者に命じてあなたに語りかけようとされているのです。また、あなたの大切な方が元気を失っておられるなら、神はあなたを用いて主のことばを伝えさせようとしておられるのです。14節には「生き返る」と約束されています。私共も生かされ、彼らも生きるのです。そして集団となるのです。 結論 私共の今後は神がご存知です。罪を犯したから神に捨てられているというのは間違えです。神のみこころは、「見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、お前たちは生き返る。」(5節)です。神の主権の中に生かされる人生なのです。ジョージ・ミューラーはワグナーという壮年が神のみに信頼して祈る幼子のような態度の祈りによって自分のように空虚で罪深い生活を送るのは悪いことだと気づいたのです。そして、自分の生活を満たしていたあらゆる罪深い楽しみに勝るものを知って、今まで知らなかった世界に目が開かれ、心は天に向かって引きあげられて行ったのです。彼はこのとき初めて幸福を知った人となり、その集会をあとにするのです。干からびず、祈り人となりましょう。 |
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