「あなたはだれの焼き印」(ガラテヤ6章17節) ( 10.6/2019 )
「これからは、だれも私を煩わさないようにしてください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。」(17節)

分析

1節〜5節 互いの重荷を負い合いキリストの律法を全うせよ
6節〜10節 神は侮られないので御霊のために蒔きなさい
11節〜16節 あなたの誇りは何か
17節 この身の所有者について
18節 主イエス・キリストの恵み

序論
 
割礼で人が救われるのではなく、十字架につけられるとき救われるのです。なぜか、それはサタンが恐れているのは十字架だからです。主イエス様の十字架によって罪は処罰されました。もし、主イエス様に罪をお任せになるなら解決するのです。

1.割礼を受けた人たち(13節)

割礼を受けた人たちは自分自身が律法を守っていませんでした。彼らは守りたくても守れなかったのです。彼らの主人は自分の肉だったからです。この肉が誇りの原因であり、神に反逆するものなのです。

2.自分の重荷(5節)

人にはおのおの負うべき自分の重荷があります。そして自分の重荷は見えず、他人の重荷は批判してしまいます。しかし、主イエス様は他の人に対して誇ることを禁じ、互いの重荷を負いあうことを命じられるのです。これがキリストの律法です。(2節)

3.キリストの律法

問題を解くカギはその逆を考えれば理解しやすくなります。キリストの律法の逆は肉でありサタンの奴隷です。このサタン来の肉の力(創世記3章参照)の結ぶ実は明白です。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、このうち一つでも該当していれば、即入院しなければなりません。危ないのです。滅びを刈り取り神の国は継げません。なぜなら、「神は侮れられるような方ではないからです。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」(8節)。では、どうすればよいのでしょうか。十字架につけられて死ぬことだと教えられています(14節)。いやもっと高く、十字架を誇りとせよと命じられています。神が与えてくださった自分自身の重荷をこれまでは憎んできたとしても、今日、悔い改めて、神から負わされる重荷を誇りとせよと命じられているのです。

結論

あなたの所有者はサタンですか、それとも自分自身ですか。これら二つはどちらを選んでも結果は同じです。良い実は結べません。しかし、もし、キリストの焼き印のあるキリストのものであることを受け入れなさるなら、御霊の実を結び始めます。それは愛です(ガラテヤ5章参照)。

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