「知るべきこと」(エゼキエル38章23節) ( 10.31/2019 )
「わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(23節)

分析

1節〜6節 主から出陣させられる大軍勢
7節〜9節 終わりの年の戦いに備えよ
10節〜13節 その日、心に思いはかること
14節〜16節 ゴグに預言せよ、主の聖なることを示せ
17節〜23節 長年の預言の成る日

序論;ゴグとは北の果ての国です(15節)。周辺諸国に主の裁きがくだされイスラエルに平和が訪れた時、主は再び北から大軍勢を送ってイスラエルを攻めさせるのです。イスラエルの敵国もまた主の御手に握られていることを知るのです。

1.聞かなくても聞かされる(17節)

「神である主はこう仰せられる。あなたは、わたしが昔、わたしのしもべ、イスラエルの預言者たちを通して語った当の者ではないか。この預言者たちは、わたしがあなたに彼らを攻めさせると、長年にわたり預言していたのだ。」

2.知らせるとき(23節)

抗うことのできない神の御力の前に、たったひとつのことを教えられるのです。それは、私共人間は神ではないということです。なぜならゴグとマゴグとは黙示録20章8節ではサタンに惑わされる人々をさしているからです。すなわち、いったい人間とは何なのかといいますと、罪過によって死んでいる者たちだと聖書は教えています。神どころか何者かに自由に操られる死人だというのです。そして、肉と心の望むままを行っていて、それはすなわち不従順の子らに働く霊に従う者たちだ(エペソ2章2節〜3節)と言っています。しかし、気づいていないのです。けれども、今日が、造りぬしである神がおられることを知らされる大切な日なのです。

3.アウグスティヌス派修道士、ジャン・ヴァリエール

神が聖であることを示される日は必ず訪れます。1523年8月8日ジャン・ヴァリエールは火あぶり刑で殉教します。彼の人生の最後の場面は苦しみがともなっていたと思います。しかし、彼が神様から受けて、人々に伝え続けたメッセージは「人は神の御栄を現すために生かされている」ということでした。火あぶりが神の御栄とは理解しがたいかもしれません。しかし、彼も知らないところで神は彼を神の御栄のために用いておられました。カルヴァンは14歳の時、この出来事を目撃し、ヴァリエールのメッセージを思い出すのです。神はヴァリエールを通してご自身を知らせたのです。1日8時間神に祈るなら世界に影響を与えることができるのです。

結論

神は神がおられることに気づかせてくださいます。もしたとえ自分自身を神とする人々の中に置かれていたとしても、一人の少年に対してでも、たった1分でも話しかけ、真の神様の御心を証しするなら神様はそのことをも刈り取らせてくださいます。ただ、「わたしの聖なることを示す」ために用いられることに同意するなら、その逆の世の真相を明らかにするために用いられるとき、覚悟が必要です。

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