「キリストで満たされるように」(エペソ3章19節) ( 11.10/2019 )
「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」(19節)

序論

ユダヤ人であったパウロは自らを異邦人のための使徒と呼びました。ペテロがユダヤ人のために選ばれたように自分は異邦人に福音を伝えるために選ばれたと認識していました。日本人は異邦人であり今日私共が耳を傾けているエペソ人への手紙3章には私共異邦人が神の家族とされうるその理由について記されています。

1.その理由

ユダヤ人が異邦人を嫌う理由は、律法を無視する点です。穢れたことを平気でおこなう異邦人を犬と同じ存在として、また、豚がからだを洗ってもらってもまた泥の中に転げまわるように、きよさを求めない点においてさげすむところがありました。また、その理由の中心にあるのは、「この世にあって望みもなく、神もない人たち」(エペソ2章12節)とあるように、神を認めない傲慢な点がユダヤ人から忌み嫌われるところなのです。しかし、わたくしは立派な市民でありますと豪語されるかもしれませんが、神がない、神に聞くことができないということは、不従順の子らの中に働く霊の奴隷だということです(エペソ2章2節)。すなわち、罪過によって死んでいるのです。
ところが神は、私共の行いによってではなく神ご自身の愛のゆえにキリストともに生かしてくださったとあります。すなわち、「しかし、以前は遠くにいたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近いものとされた」のです。「キリストこそ…ご自分の肉において敵意を廃棄された方です。」そしてキリストにあって組み合わされた建物全体が成長し、主にある聖なる宮となると2章に記されています。

2.これからなすべきこと

使徒パウロは宣教しました。すなわち、3章8節に「キリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え」、そして、神に近づきました。「私たちはこの信仰にあり、キリストを信じる信仰によって神に近づくことができるのです。」(3章12節)

3.どこまで従うのか

使徒パウロは苦難を受けていました。すなわちこの事実が明らかにしていることは、サタンの世だということです。キリストの十字架を無視する力が私たちを支配しているということです。私共のどこが神を無視しているのかと言いますと、神の命令は愛ですが、それを理解する力が私共には乏しく(エペソ3章18節参照)、人知をはるかに超えたキリストの愛を拒んでいるということです。神ご自身の満ち満ちた様にまで、あなたがたが満たされますようにというのが使徒パウロの祈りの内容です。

結論 

理解する力とは何なのでしょうか。「キリストの血によって近い者とされたのです」(エペソ2章14節)神のみむねを知る場は祈りの場です。そこに近づくには主イエス様の十字架に対する信仰が必要であり、キリストの血潮を信じて神に近づき祈るのです。
ある牧師が信徒さんを訪問した際、そこはサタンの近づけないそんな場だったと記しておられました。そこが祈りの場だったからです。
神ご自身の満ち満ちたさま、とは十字架でしょう。パウロは「さらば汝らの信仰の供物と祭とに加へて、我が血を灌ぐとも我は喜ばん、なんぢら衆と共に喜ばん。」(ピリピ2章17節)と告白しました。キリストの血を信じて神に近づき祈るなら、私共にもサタンから自由にされる希望があるのではないでしょうか。神に満たされましょう。主の宮として。神がわからないときは、「キリスト・イエスの中にあることにより」とありますので、最寄りのキリスト教会の戸をたたいて、「生きておられるキリストに呼ばれました。ルカ14章についておしえてください」と言ってみてください。

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