「キリストによる新しい挑戦」(Uコリント13章1〜10節) ( 2.6/2011 )
「キリストは、あなたがたに対して弱くはなく、あなたがたのうちにあって強い。」(3節)

コリント人への第二の手紙を本日は共に学ばせて頂きたいと願っております。

この手紙は使徒パウロが教会の中に生じている不道徳な問題を改善するように涙をもって手紙を書いた結果、何らかの良い知らせがパウロの元に届けられたのですが、パウロはその中でなおもコリントの教会の現状を察して、パウロに対する使徒職に対する疑惑への解答とパウロが勧めた勧めに従っていない現実があった場合、厳しい処分をする事にしているという自身の思いを綴ったものです。

その最後の部分にやはり実際にコリントの人々に会うことを恐れているその心情が記されています(12章22節)、それはパウロの優しさから出ていることだと思いますので、本来戒めとして語られたであろう3節を愛故の言葉として解釈してみます。そしてパウロ自身の権威保持問題でなく、信仰によって生活が変えられることを願って信仰が何であるのかを最後に教えている点に注目してみます。

1.問題提起と回答

まず、コリントの人々にとって信仰生活を導いてくれていたパウロは旅の中にあり彼らの生活から遠いところで生活していました。そして、彼らの関心事はおそらく献金のことや使徒職の権威の問題で日常生活の中におけるキリストの存在からは遠い所に彼らの関心はありました。パウロは彼らが抱いているであろう疑問に1つ1つ答えながら最後にキリスト者として生きているコリントの教会の人々に「キリストは生きておられるのだ」(13章4節)と伝えています。それはパウロ自身が体験してきたキリストでした。

コリントの教会の人々にとってパウロが生前のイエスに出会っていないということはおそらく重大な問題でした。けれどもパウロはその事実を気にすることなく、復活のキリストの言葉を聞いたことがあるとか、キリストの顔を見たことがあるということを必要だとも感じていませんでした。それは、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるからだ、とキリストの生を自分の困難続きの伝道者生涯を通して証言することが出来たからでした。そしてパウロはコリント教会の人々に力強い戒めの言葉を贈っています。

それは「キリストは、あなたがたに対しては弱くはなく、あなたがたのうちにあって強い」というものでした。

生活の中に潜んでくる悪の力に勝たせてくださるのはキリストのみであり、あなたがたの生活を変える力をもったお方である。自分を吟味して他のものに信頼していないか点検するように勧めています。

2.キリストによる新しい力とは

では勧めている当人のパウロにとってキリストはどのようなお方だったのでしょうか。それは弱さゆえに十字架につけられたお方でした。パウロも弱いキリストのゆえに人生の苦難をキリストの十字架に倣って受け止めました。そして「神の力によってキリスト共に生きている」と証ししました。十字架と思える苦しみの中にキリストの生があるのです。

生活を変える力はキリストであり、新しい生活を支えてくださるお方も生きておられるキリストだけです。また、キリストの生ゆえに本来は律法を越えた働きが出来るはずです(Tコリント10:31〜33)。そしてさらに挑戦を(Tコリント9:19)。

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