「彼らの地に集める」(エゼキエル39章27節〜28節) ( 11.18/2019 )
「彼らは、わたしが彼らの神、主であることを知ろう。わたしは彼らを国々に引いて行ったが、また彼らを彼らの地に集め、そこにひとりも残しておかにようにするからだ。」(28節)

序論

神は神に対して不信の罪を犯すとき、23節「わたしが彼らにわたしの顔を隠し」24節「わたしの顔を彼らに隠した」と言っておられます。
人は神に顔を隠されると正しく生きていくことができません。しかし、不信の罪を犯す原因もまた神のご意思によって置かれていることも分かります。すなわち、26節に「彼らを脅かす者がいなくなるとき」と、脅かす者も神の御手に支配されています。
不信の罪と神のない人生にどう対処したらよいのでしょうか。

1.神は人を忘れてはおられない

神は人間を放ってはおかれません。すなわち、神との関係が回復する望みは絶えていません。神は熱心であると自己紹介しておられます。「然 ば 主 ヱホバ かく 言 たま ふ 我 今 ヤコブ の とらわれびと を 歸(かえ) し イスラエル の 全家 を 憐れみ 吾 聖 き 名 の ため に 熱中 せ ん .(1) 」(25節)。造り主である神との関係は回復できるのです。

2.神は聖なる名を汚させない

7節に聖なる名を知らせ、…聖なる名を汚させないとあります。27節にも彼らのうちにわたしの聖なることを示すとあります。聖は神の属性であり、世の中から私共が神の下に移されることを通して神がおられることを世に示されるのです。ゆえに、主日の礼拝(主イエス様がよみがえられたことを記念する日曜日の礼拝)への出席をもって神が生きておられることを証ししましょう。

3.神はあわれんでくださる

25節に「イスラエルの全家をあわれむ」と約束されています。エペソ人への手紙2章12節から13節には「そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」とあります。すなわち、イスラエルが神のあわれみの対象であるのと同様に、あなたも神のあわれみの対象なのです。

結論

神との交わりは回復されます。その保証は神のあわれみです。今は神がわからなくても心配せず、祈り求めてみましょう。教会に足を運び、神に賛美をささげ、神の御声を聖書を通して聞き、神に祈り、神に仕えましょう。神は必ずあなたが神の下に帰れるようにしてくださいます。「ひき帰りてひとりをも其處にのこさざればなり」(28節)それぞれの生き方を通して神の約束を証しさせていただきましょう。神があなたを導いてくださいます。教会であなたを待っておられます。この生涯を通して神のあわれみを受け取りましょう。神は熱中しておられます。
バックストン師はルカ14章17節で、スポルジョン師はイザヤ45章22節で、ハドソン・テーラー師は母の祈りで、ダミアン師は15歳の時に主イエス様の救いに与りました。神の熱心は存在するのです。神にどこまでも期待しましょう。

(1) 文語訳 聖書 (Kindle の位置No.88638-88643). sakisyuppan. Kindle 版.)

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