「心配しないで」(ルカ10章38節〜42節) ( 1.6/2020 )
「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(42節)

ある有名な牧師が、もしマルタが主イエス様の足元でお話を聞き、マリヤが台所で給仕をしていたとしたら、マルタは「主よ、妹があなたのお話も聞かないで、台所で給仕をしているのを、何ともお思いにならないのですか。」と言ったでしょう。そして、非難されているマリヤは喜んで主イエス様のために給仕したことでしょう。と言っていたそうです。

愛される側のイエス様は、マルタとマリヤの違いを感じ取っておられました。ですから、

1.決勝点はどこか

勝負には決勝点があります。走るときにはどこから勝負するか決めているはずです。人生において主イエス様を愛するわけですが、どこが一番の見せ場なのでしょうか。それは、おそらく、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3章14節)です。すなわち、上に召されるときです。主イエス様がよみがえられたように、主イエス様を信じて死んだ人々が先によみがえります。
「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(1テサロニケ4章13節〜17節)すなわち、もし、キリストにあって生涯を全う出来たなら死んだのち、決勝点が来ます。主が再び来られるとき、この世の勝者たちを「ビューッ」と加速し追い越すのです。けれども今どうすればよいのでしょうか。

2.一つだけ

使徒パウロ主イエス様がよみがえられたことを知って、生き方を変え、一心に走りました。勝つには秘訣があります。それは良いほうを選ぶだけです。神を愛し隣人を愛する祝福される道があります。けれども罪は世にあります。「そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。」(へブル7章25節)
イエス様はできることはなくても愛してくださるのです。

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