「宿営地に据えよ」(ヨシュア4章3節) ( 2.10/2020 ) |
「その者たちに命じよ。『ヨルダン川の真ん中、祭司たちが足をしっかりとどめたその場所から12の石を取り、それらを携えて渡り、あなたがたが今夜泊まる宿営地に据えよ。』」(3節) ちまたでは会社の社員さんは会社の顔と言われます。クリスチャンはだれの顔でしょうか。おそらく神様の顔と言いたいけど、遠く及ばないですし、失望落胆の末、クリスチャンやめちゃおうという方もおられるかもしれません。けれども、この4章の最後の節には、「地のあらゆる民が、主の手が強いことを知るためであり、あなたがたがいつも、自分たちの神、主を恐れるためである。」とありますので、主が知られるために生かされているのがクリスチャンで、クリスチャン相互の優劣はないはずですし、世に対しても、私たちのこと(名誉やきよさ、豊かさ)ではなく主がどんなお方であるかが証され、クリスチャンもやがて主を恐れる者になると宣言されています。主とは神様のことですが、主は、 1.水の中から救ってくださるお方 欲望や病や死、人生自分ではどうにもならない問題が起こります。しかし、私共を創造された主が救ってくださいます。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(イザヤ43章1節) 2.忘れないお方 「据えよ」と命令をされたのは主です。すなわち、あなたが忘れてもわたしは忘れないと主はおっしゃっているのです。 今後どんなことが起こるかわかりません。いや、今も罪の中を通って恥ずかしい思いをしているかもしれません。しかし、12個の石を選ばせ、携えていって宿営地に据えよと命じられたお方は、命令を下したお方です。あなたを、そして私も、ご自身によって救った人々を忘れておられません。 へブル10章10節には、「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、わたくしたちは聖なるものとされています。」とあります。私共の義なる行為によるのではありません。これは神の覚悟です。あなたはわたしの民だよと励まされているのです。 マハトマ・ガンディーは聖書の語る山上の垂訓の自己放棄について、「わたしを限りなく愉快にした。」と言っています。主イエス様の弟子のしるしは私たちにも記されると信じましょう。 (参考図書;篠原 元著『100人の聖書』イーグレープ) |
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